SSブログ

洞門山破壊説明会 [北窓だより]

23日(日)の6時から始まったこの説明会は、雨模様の雲の下、急に寒さに襲われた日でしたが、会場は人であふれ、その熱気で上着を脱いでしまうほどでした。これほど人が集まった事はなかったと、司会をした人は言っていました。50脚ほど並べられた椅子も足りなくなって、横にも後にも人はひしめき扉は開け放ったままになりました。
説明側のプリントも足りなくなったようです(これも社員が3人もいるのだから誰かが走って行ってコピーをしてくればいいことなのに、などと最後にはからかわれる程でしたが)。私は10分ほど早く行ったので座れましたが、開催時間間際に、どっと人は集ってきたのです。この地に住んで古い人、新しい人、老若男女、小さな子ども、ワンちゃんも(?)一匹いたようです。
参集者の意識も見識も高く、業者はしだいにたじたじとなり、まだ市の開発許可は下りていないようなので希望が持てそうな雰囲気でした。

結果を先ず報告すると、地権者であるK氏(近くに居住しているのだから、いま連れて来て下さいという声も)が顔をみせていない(自分たちが全権を任されていると最初は言ってましたが、色々突っ込まれて返答に窮していました)、そして説明も調査も不十分な(これもただ地図上に線を引いただけの図面、素人にはちんぷんかんぷんの細かな設計図など12枚)、また何よりも設計者(説明している会社)がこの地の環境・風景における重要性について何も知らないということが、質問者の様々な突込みによって明らかになり(彼らも終わり頃になるとそれが少しは認識するようになったようで、この説明会も皆様の意見をうかがうという内容であることに、なって行ったようです)と言う事で、全面的に工事着工(部分的にも色々質問あり、指摘、提言は出たものの)に反対が、総意であることをK氏に伝え(この会場の発言は録音してK氏に渡すと司会から提言されている)、近いうちに改めて会合を持つこと(その日取りも決めさせようとしましたが)、その時はK氏が必ず顔を見せること(話の中で、実はもうこの土地はK氏が誰かに売ってしまい、しかしまだ名義はK氏であるらしい、問題になるところによくやる手)、そしてここは風致地区であるため(樹を一本切る事も届出が必要)市の担当職員も立会いの下、話し合うことと言う満場一致の決議に至りました。

これを設けたのはもちろんK氏依頼による施工会社ですが(大手の会社は、事情を知っているので、またもめる事は承知しているので引き受けない。聞いたこともない小さな会社です)、彼らも仕事を取ること、また生活もかかっているので必死でしょう。ですからそういう人たちに向かって色々言っても空気に話をしていると同じなので(発言の言葉)ちゃんとした地権者と(金銭的に何とかしたいなら、それを市に買い取ってもらうとか何とか、いろいろ腹を割って住民と話し合うことだと)向かい合う必要がある、そこを壊す理由、信念、ヴィジョンなども。また風致保存地域であり、歴史的な風景、市側(建設課、緑課、など縦割りで横の連絡がないので、個別の許可でミックスされて許可が出る可能性あり)の立会いも必要。

この会の進行をしたのは、「町づくり協議会」の会長とこの地の町内会長です。
町内会長が、好々亭の主人である事をしり、ほっとしました。廃業したと言っても、この山の所有者と組んで開発側に回ったのではないかと心配したからです。
あの赤トンネルは、やはり手掘りで昭和10年ごろお祖父さん(父?)が掘ったもので(その人はとても変わり者だったといい、料亭にしたのはその後と言う事らしい)、それを自分が壊すわけには行かない。壊させないと言っていました。会場では「山の内瓜ヶ谷の戦後の原風景の聞き語り」をしているグループのチラシを貰ったり、台峯を歩く会の人も来ていましたし、多くの人たちが立ち上がっているので、何とかここは守れるのではないかと思い、少し安心しました。
この「町づくり」会長さんにより、会社が示せなかった開発が施工された時の風景図面のパノラマが示され、第1期工事,第2期工事と、どうなっていくかを見せてくれました。そして大きな二つの質問をした後に皆もいろいろ質問したのですが、それぞれに義憤を持って集った人ばかりであるため、誰もが発言したいようで、発言する隙がなかなかありませんでしたが、私も終わりごろ一応発言してきました。それをこの次にここに入れることにします。
実は私はこの区域に隣接して住んでいるのではありません。駅から歩いて峠に至り、少し下ったところにあり、旧鎌倉とは少し違います。まあ周辺部だといっていでしょう(だから住めたということでしょう)。でもこの頭上を大きく開発したのが同じK氏です。会場で知ったのですが、やはりそのK氏で、名前が違っているのは、その息子であることを誰かが訊いて分り、その時発言者が「ああ、やはりそうですか」と言って笑いが起こったのは、血は争えないと言うか、政治家も世襲が流行りですが、開発もやはり世襲のようです。では今日はこれまで。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。