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暫らくぶりの台峯歩き [台峯を歩く]

昨日は予想外に秋晴れのお天気になりましたので、このところ休んでいた台峯歩きに行ってみました。参加者は15、6人で歩くにはちょうどいい人数でした。
渡されたプリントは、表も裏も蝶ばかりで、今日はその秋の蝶に特に目をやりながらという事になりました。そこにはルリタテハやキタテハ、キチョウなど彩りの綺麗なものもありますが、この季節蛾と間違いそうなセセリチョウや爪くらいの小さなしじみちょうの仲間のほうが多いのです。
わが庭でも確かに飛んでいるようですが、小さくて地味なそんな蝶などにあまり目がいかなかったことに気が付きます。また蛇の目玉のような模様を持ったジャノメチョウの仲間なども…。

また実りの秋なので、田んぼの稲も気になりましたが、二カ所の田んぼはそれぞれ黄金の稲穂を垂れていました。今年は暑かったせいか少し生育も早いようだとのこと。でもイヌビエなどの雑草もあちこちに交じり、それは草取りをあまりしなかったせいで、いかに田んぼと言うものが人手を要するかが分かります。

さて例の見晴らし台である老人の畑では、サシバの渡りが見られるとのこと(上空が渡りのルートになっている)、この時もそれが見えたそうですが、あまりに高いところに飛んでいるため肉眼では無理のようで、倍率の低い双眼鏡しか持っていない私には到底無理でした。

この季節山の木の花は少なく、タラ(若芽の時に食べる)の花とヌルデの花ぐらいで、どちらも地味で花とは見えないもの、草の花は結構よく目にするミズヒキソウ、キンミズヒキ、白い花のヨメナやセンニンソウ、藤色のツルボやヤブラン、タデの類、萩類のほか老人の畑には南蛮萩の一群れが派手な色彩を見せていました。

さて気になることを一つと、これもKさん。今年は草むらによく見られる女郎蜘蛛がとても痩せているので心配だとのこと。蜘蛛は昆虫を食べるので、それらが痩せているのは、餌となる昆虫が少ないせいだと。確かにデング熱などの元凶と騒がれたいるものの、例えば蚊が今年は少ないな、と感じていたからです。
ゴキブリも食べてくれるとのことなどで、私は家の中の蜘蛛は殺さないようにしていますが、今年はあまり見かけず、小さいのがいてもいつの間しかいなくなってしまっています。庭にいる女郎蜘蛛も確かにあの派手な色を見せるものは少なく、細々とした感じです。
変な蚊が出てくるのも生態系を崩す方向にばかり進んでいく人間への警告でしょうか。
それでも虫たちも懸命に生きているようで、草むらで昼寝しているのかマツムシをつくづく眺め、また草むらでお腹に卵をいっぱい抱えたショウリョウバッタと捕まえました。(もちろんすぐ解放しました)

トンボもオオイトトンボ、ウスアカネなどを見かけ、秋を感じてきました。

萌える緑の台峯歩き [台峯を歩く]

 今日は小雨が降ったり止んだりの一日となりましたが、昨日は風の冷たい曇り空ながら時には陽も射してくる歩くにはいいお天気でした。
天候も不順、社会的にも様々な不安悲惨なニュースもあるせいか、参加者も少なく12、3人だったので、それぞれのんびりと気ままな散策となりました。と言ってもコースはいつも通り、これが188回目になったと聞かされます。もうホタル観察会も近づいてきていて、その日取りも告げられました。
しかしここを来年4月に開園するための市による整備がいよいよ始まったらしく、それがこれからの懸念材料となりそうです。というのも安全とか法律などうを基準とした市の整備は、ここのような微妙な自然と地形をかえって壊してしまうことが多々生じてしまいそうだからです。まさにその気配は入り口辺りの仰々しいばかりの杭やロープの張り方にも示されていて、谷戸に下りる細い坂道や沼のほとりを歩く細道も拡幅されてしまうのは目に見えていて、そうなると蛍の生息も危ういものになりかねず、もしかして蛍観察会も今年で終わりになるかもしれないなあと思いつつ歩きました。
木々の多くが今一斉に芽吹きをして、雑木林はみずみずしい緑のグラデーションです。その緑の違いで樹木の種類を推測しようと試みるのですが、毎年のことながらなかなか覚えられず難しいです。
濃い緑はシイ・カシなどの常緑樹、鮮やか緑はシテやミズキ、黄色っぽい緑はクヌギやエノキ、白っぽい緑はコナラなどですが…。

葉の芽吹きだけでなく、同時にそれら樹木の普段は目につかない花の観察でした。そこにもちゃんと雄花と雌花があり、それぞれ簪のように垂れ下がっているのが雄花で、その近くに小さな雌花、それをコナラ、クヌギ、イヌシデなど手に取って観察、またヒメコウゾの不思議な形のそれらは、教えられなければ気が付きません。アケビの花もアズキ色の雌花雄花があり、それも初めて手元で眺めました。
また道端には地味で小さな野の花たち、カシオドシ、ウラシマソウ、ムラサキケマン、タネツケバナ、ツルカノコソウ、キランソウ、ヤブニンジンなど。ヒメオドリコソウは外来で繁殖力が強く、在来種のホトケノザを侵食してしまいそうだとのことなので、それを少しばかり退治することにするが手にあまります。

鳥は、昨日はヤブサメが見られたという事で、今日はその声らしいものを聞いたという人もありましたが、私には難しいです。またウグイスやシジュウガラの姿、また珍しいオオルリをカメラにばっちり収めた人もいました。
今日はゆっくり観察しながら歩いたので、少し時間を超過して解散場所に到着。      以上

「なだ いなださんを偲ぶ」台峯歩き [台峯を歩く]

 昨日の小春日和の穏やかな日曜日は、今年6月に亡くなられた「なだ いなだ」さんを偲ぶ台峯歩きの日でした。いつもは20名前後なのに45名ほどにもなり、歩くには少々大勢すぎましたが止むを得ないことでしょう。この台峯歩きは、なださんが立ち上げたものです。最初の名称は、「なだ いなだ と台峯を…」と付いていたはずです。
 この辺りが開発されるという話を聞いて、近くに住むようになっていたなださんがそれは大変だと、声を上げられ、その許に有志や土地の人たちが駆けつけたのが15年前、開発をストップさせようと、台峯トラスト運動の一環として、その年の11月から、毎月一回皆で歩こうという事になったのが始まり、今回で181回、延べ4000人ぐらいが参加したとのこと、これら数字は昨日の偲ぶ会でM理事の話からの紹介。(私は、なださんがほとんど出てこられなくなってから参加しました)
 ひところはもうダメかと思われた時もありましたが、世の趨勢もあって2004年12月にここの保全が決定。これで願いは叶ったのですが、現状のチェックのためにもとこれまで通り続けられているのです。
 「偲ぶ会」を兼ねた山歩きですから、はじめの1時間は、会長や理事や案内者の話や参加者の思い出話などに当てられました。そこでの話、裏話をちょっとしますと、実はなださんは、あまり山歩きが好きでも得意でもなかったのではないかとのこと、というのも、かなりの年齢になっていたこともあるが山歩きは下手だったとのこと、倒木がくぐれなかったり、木道では滑ることが多く、でもそういう事を見ればかえってどういう風に山道を整備すれば良いかの参考にはなった(笑い)など、しかしそういう不慣れな苦手なことに年を重ねても飛び込もうという、その勇気にかえって感銘を受けたとも。
 また なださんが立ち上がってくださったことで、この台峯が世に知られるようになり、保存への道筋もつくようになったのは事実でその功績は大きいと。というのもここは名所旧跡があるところではなく、ただ昔ながらの尾根や谷や沼があるというだけの土地、(しかしその何でもない風景こそが今になっては大切なものという事が私たちにも分かる時代になった)、それになださんの名前が冠せられたことでスポットライトが当てられ、いろいろな人や知恵も集めることができたのでした。
 またこの会は、よくあるような山歩きの好きな人だけが集まるというような、同好の士の会ではなく、また会員としての義務も制約もない、ただ月の第3日曜日に、歩きたい人がただ集まって(会員でなくてもいい)歩くだけの、非常に自由な今の言葉でいえば「ゆるーい」関係の集まりで、これもなださんの姿勢に通じる所があるかもしれません(なださんは陸軍幼年学校で学ばされた反動としてフランス文学へ傾倒した)。 また開発反対と言ってもプラカードを掲げて闘争するのではなく、ただその地を歩くだけの地道な抵抗、これもなださんが最も嫌った権威や権力(『権威と権力』岩波新書)への反抗の一つの姿でもあるでしょう。とにかく医者としても、常に患者という弱い立場に立ってものを観ようという姿勢が人をひきつけると同時に鋭い文明批評ともなり、共感を呼ぶのだと思います。
 なださんは、晩年「老人党」を立ち上げ、弱者が暮らしやすい社会づくりや平和を訴えたが、面白いことに台峯歩きのコースで尾根筋で一番見晴らしの良い場所(皆で一休みするところ)を通称「老人の畑」というが、これも何だか両者通じているのであった。
 その上に、最初にこの台峯は、名所旧跡があるわけでもなく、何でもない風景だと言ったが、これもなださんのペンネームに通じているようで、今では不思議な感じがしてくる。「なだ いなだ」というのはスペイン語で、「何もなくて何もない」のだそうですから。
 10時ごろから大勢でぞろぞろ台峯に向かった。今日はほとんど見るような花はなく、ノイバラ、ムラサキシキブ、ノブドウ、スズメウリ、ガマズミ、などの小さな草や木の実が見られるだけであったし、蝶も越冬するキチョウやルリタテハなど。少々急いで正午過ぎ出口に至るが、その挨拶にこれからもどうぞ台峯歩きに参加をと言いながら、実は観察しながら歩くには4、5人が一番いいし、せいぜい20人まででないと…いう言葉に皆は苦笑。矛盾しているがどちらも本音ではある。

 なださんは、がん宣告後もいっそう精力的に仕事をし、あと33冊は本を書きたいと述べている。これは遺稿集となった最後のエッセイ集の「まえがき」にあり、その著書の題は『とりあえずきょうを生き、明日もまた 今日を生きよう』で、ラテン語のCarpe diem (その日を摘み取れ: ラテン語)を具体的に表現したものである。ご自分でもこれは、まさにハイ状態だと仰っているが、このメッセージを私もしっかり受け止めねばと思った。


台峯歩き、又もや雨。 [台峯を歩く]

 先月に続いて今月もまた雨になってしまいましたが、「台峯歩き」の理事の方たちはこういう日も集まって、いろいろ話し合っておられることでしょう。でもこんな風に続いてダメになる事はこれまではなかったようで、偶然とは言え最近の異常気象についてつい思いを馳せてしまいます。台風26号の伊豆大島に与えた甚大な被害、またもや同じコースで近づいている27号など、自然というものの非情さや理不尽さを思わずにはいられません。
 特に今年は災害が次々に押しかけてくる感じで不気味ですが、今日の朝刊に「デザイナーベビー?」という見出しで、これがアメリカで特許が認められたと報じられていて、これも言いようもない不気味さを感じました。
 これは親が好む遺伝子で望みどおりの子どもを造る技術で、これができれば日本人でも「青い目の金髪」の子どもを産むことができるという事。もちろんこれは癌のリスクが低いような…などの利点を考えたからだとしても、まさに遺伝子という生命の究極にまで人は手を付け始めたという現実です。当然「生命への冒涜」と科学者からも批判が出ているのしても、「進歩」を目的とするのが科学である限りこれを止める力はないでしょう。
 理想的なクーロン人間ばかりが住む世界など私は暮らしたくありませんが、自分の欲望によって「自然」に手を付け始めた人間の行き着く果ては結局そういうものにならざるを得ないものか…、災害が次々に起こるのも、自然からの報復かもしれないと思うと暗澹とした気持ちになります。
 とにかく伊豆大島が27号の被害からどうか免れますようにと、ただ祈るだけしか私にはできませんけれど…。
 

猛暑の台峯歩き [台峯を歩く]

日中の猛暑だけではなく熱帯夜も続き、少々音を上げそうな日々です。
檻の中の動物のようにクーラーの中に閉じこもっているよりは、谷戸の小道を歩いたほうが涼しくて気も晴れると思い、行き帰りの暑さを我慢して参加しました。
皆そんな思いのようで、参加者は15~6人。今日は暑くても風が少しあるので木陰にはいると気持ちが良い。

今日は蝶の観察が主だとのこと。この辺りに棲んでいる蝶の一覧のプリントで説明を受けました。
鎌倉は昔から黒いアゲハチョウの仲間が多くみられることで有名だそうです。しかし最近はやはり蝶の数は減っているとのこと。また九州で見られていたナガサキアゲハがよく見られるようにもなったのは温暖化のせいでしょう。大きな違いは、アゲハに見られる尾状突起(後ろ羽根の先に突起がある)が無いことです。またジャノメの仲間、これは名のとおり蛇の目のような紋が羽にある。羽根に白い筋が見られるイチモンジ蝶とかイチモンジセセリとか。
黒い羽に白い斑点が散らばっているゴマダラチョウ、また後ろ羽根にオレンジ色の斑点があってよく目立つ綺麗な蝶はアカボシゴマダラで今日も目撃されました。これは中国からやってきたもので地の蝶ではありません。たぶん人が持ち帰って飼っていたのが放たれて棲みついたのだという事。
ルリタテハは出会うと感動しますが、今日は出会えませんでした。ただキチョウが盛んに飛び回って産卵の最中で、葉(クマヤナギの葉。大体マメ科の葉が多いというが)に止り卵を産み付けている現場を何度も見られました。またツマグロヒョウモンという、まさに豹紋模様の蝶も見られましたし、またカラスアゲハは、墨色の羽をしていますが、羽根を広げたとき、陽の光で青いメタリックな輝きを見せるその現場も見られた時は声を上げてしまいました。

その他、田んぼでは暑い夏のせいか青い田圃はたっぷりと穂をつけていました。風に乗って漂ってくる稲穂の香りはどこか香ばしく甘く心が深々とした感じになりました。これら稲穂が台風などを無事切り抜け豊作の秋を迎えればいいのですが…。

平家蛍を見に行く [台峯を歩く]

先のブログに蛍観察会について書きましたが、その時はゲンジボタルで今回はヘイケボタルです。
この2種は時期をずらして現われてくるのですね。昆虫の世界では、源氏と平家は争わずに共生を図っているのです。ゲンジのほうが体は大きく、光も強く、ヘイケは小さく、光も弱いのですが…。
それで大抵はゲンジホタルを見てもう満足して、次のヘイケを見に行かないことが多いのですが、今年は出かけました。
参加者はやはり前回と比べて少なく、15、、6人ほど、小さい子どもも2人加わっていました。そして暗くて滑りやすい森の細道をぐずりもしないで最後まで歩き通したのは、いつもながら感心させられます。

さて肝心の蛍ですが、このところ梅雨が消滅したような晴天続きのためか、その数は少なかったようです。それでも120~130はいるようだとのことでした。これは雨がほとんど降らなかったので湿地が乾いてしまったせいのようで、そのため谷戸の全体にではなく、3カ所ぐらいにまとまった感じで、結局谷戸の奥まではいかず、途中で引き返して入口に近い場所で観察しました。
それでも数が少ないのを自覚したように、ただじっとして光るだけではなく動きが活発で、ふわふわと宙に舞い上がったり、すーと飛行したり、こちらにも飛んで近づいてきて、手を差し伸べた私の掌や袖口に3匹(頭)も止まってくれたのには感動です。小さいせいもありますが、全く虫が止まった言う感じが少しもなく、全く光る露を手にしたようで、それもまたすうーと離れていってしまうのでした。
ほんの1時間足らずの蛍の宴、先のゲンジボタルの時ほどの数ではありませんでしたが、私と同様皆も満足したようでした。
出る数は気象状況によって変わるわけで、まだまだここの蛍は健在のようです。

この蛍をめでる感性は、日本独特のようで、西欧世界では、この光る虫はどこか不気味な、不吉なものとして受け止められていたようです。この記事は新聞の上村松園の「蛍」という画についての解説部分にあったもので、日本では、有名な「枕草子」にも夏の美しさを語る部分にまず出てくるし、松園の画も蚊帳を吊ろうとしている美人と蛍の組み合わせである。昨夜参加した幼い子どもたちも、その蛍を見たさに怖いのも我慢してついてきたのだろう。日本人の自然を友とする感性は子どもの頃から受け継がれているようだ。
光る虫、蛍は、成虫になってからの寿命は3,4日から一週間。その短い間にその生を精一杯生きる。この命のはかなさに共感するのも、やはりこの国独自の感性だろう。
ヘイケボタルもなかなかいいものだ。来年もまた参加してみようという気持ちになっている。

蛍がたくさん見られました。 [台峯を歩く]

梅雨の晴れ間で、昨日も心配されたにわか雨もなく、蛍観察には絶好の夕べとなりました。
雲もほとんどない空には山の端から出たばかりの満月が、白々と大きく見上げられます。6時半集合、参加者は20人余り、小学生くらい、まだ幼い子どももいましたが、暗くて細い山道、ぬかるみや崖っ淵もある道を最後まで歩き通しました。案内のKさんは子ども好きらしくまた子どもたちにも親しまれていることもあり、今日も彼らを先立てる感じで7時10分前ぐらいから歩きだしました。
いつもの「歩く会」のコースとは反対側の出口から入り、沼や湿地帯を抜けて尾根にかかる谷戸の一番奥までゆっくりと歩き(この間蛍を眺める)、U ターンして帰って来るのです。始めの頃はまだ薄闇で雨蛙の声、鶯、杜鵑の声も聞かれましたが、だんだん暗くなり泥濘で滑りやすい足元は懐中電灯が必要になってきます。せせらぎの淀みのところでまず足を止め、Kさんは子どもたちの緊張を解くため冗談交じりの話をしたりしてから、蜘蛛の巣よけの笹竹を掲げたKさんを先払いのようにしながら一列になって進みます。

暫らく歩いてから立ち止まり、蛍の出現を待ちます。ここからは蛍を驚かさないように懐中電灯は消しておきます。月は光を増しくっきりと、また夜空も明るくなっていく中、谷戸がいっそう黒々と迫り、聞こえるのはせせらぎの音だけ、牛蛙の声が聞こえたこともありましたが、今回は静かです。その闇にじっと目を凝らすうちに、ある所でピカッと光るものが見えました。それを合図のようにして次々とあちこちに光るものが見えはじめ、あちこちから感嘆の声も上がり始めました。これが7時40分ごろです。いよいよこれから1時間ほどの蛍の一年の一度の恋の季節が始まるのです。

今年は例年にないほどたくさんの蛍が眺められました。コースの最初から谷戸の奥まで、どこにいても、また湿地帯や草むらや木立のどこにでも光っていて、ちょうどこの谷戸全体をひととき、蛍のイルミネーションで飾ったという感じになりました。150匹(頭という)以上、160~70ぐらいは出ているとKさんたちは言います。今は源氏蛍ですから光も強く、しばらくするとスーッと飛んで時には空に舞い上がったりもして、子どもたちも大喜びでした。
少しずつ移動しながら谷戸の奥まで移動し、堪能した気持ちでUターンします。これが8時すぎ、帰り道ではもうそれほどの数ではなくなっています。ほんの一時間ほどの蛍の饗宴です。
実は西日本など、例えば熊本などでは蛍は大体大きな川の河畔に出て、光るのも一晩中だそうです。それに比べてここでは小さな川とも見えない湿地や流れに生息する。そして出没するのもせいぜい一時間あまり、でもこれが大体東北の蛍の在り方らしいです。
Kさんに言わせると関西の蛍は一晩中恋の宴をやっているようなものでだらしなく節制がない。それに比べて東北のは、短時間で終える。いかにも武家社会らしく質実剛健で好ましい、と冗談交じりに自画自賛をして皆を笑わせる。

帰りの道筋には足元の笹の間に弱く光るものがあり、子れは平家蛍の先駆けという。また葉の上に光るものを見つけ、Kさんは成虫は光らないが幼虫は光るクロマド蛍の幼虫だと指摘する。

さて元の入り口に戻ってきたのは9時過ぎ。全員事故もなく、また妙な人間が混じることなく、戻ってこられたことを感謝して、Kさんをはじめとして全員で谷戸に対して深くお辞儀をしてから別れる。(入山するときも同じく頭を下げてから入る。これはいつもの礼儀)。
平家蛍の鑑賞会は7月13日。これにも参加してみようかなという気持ちになっています。

「台峯歩き」前回のつづき [台峯を歩く]

 さて、先ず鳥の事。
問題になっている中国から渡ってきたガビチョウ(蛾眉鳥)ですが、最近盛んに声が聞かれるようになりました。鳴き声は高く鋭く、ウグイスの声を圧するくらいです。また温暖化の現象でしょうか、この辺りでは珍しかったキビタキの鳴き声もよく聞かれるようになりましたが、これも台峯で繁殖するようになったようです。この鳥も、日本では昔飼い鳥としても珍重された(今は飼ってはいけない)南方からの渡り鳥で、実は昔私も飼ったことがあります。この鳥は、全体が黒色で、眼の上とノドから腹にかけてと、背中にも黄色い部分があり、それらがとても映えて綺麗なのです。大きさはウグイスと同じくらい。しかしガビチョウはもっと大きいのです。プリントの写真を見ると全体はウグイスの色に似て渋い色ですが、頭と腹は橙色、目の周りはメジロのように白く縁どられ、その白色がぐいと眉のように伸びている。この大きさと鳴き声の鋭さは在来種を圧倒してしまうようです。
この時も、両方の声が同時に聞かれましたが、キビタキの声はじっと耳を澄ませなければ聞きとれないほどです。しかし声は高くてとてもきれいなのです。どちらももう、この辺を故郷とする種になってしまったようですが、やはり外来種は強く、臆面もなくのさばる感じなので、Kさんは控えめで慎ましやかなキビタキ、を即興詩人のようだなどと言って、しきりに肩を持つのでした。
田んぼでは苗代を作っている段階、ツバメが飛んで、そこの泥を巣作りのために持って行っているようですが、こういう泥が街中では少なってきた今、ツバメの数も減った感じがします。
またカワトンボも今の季節ですが、これも水辺がなければ出てきません。そしてそういう川に蛍が出ます。今年ももう蛍の季節が近くなり、その観察会の日程も発表されました。

 次に、ハルジョオン(春女苑)とヒメジョオン(姫女苑)は、雑草といわれる類で、道端に白い(時に薄い紅も混じった)小さな菊に似た花を咲かせる野草。最初にハルが咲き、それが終わるころヒメが咲き始めます。その判別方法を、この日教わりました。こんなことを覚えたからと言って何の役にも立たないかもしれませんが、こんな風に丹念に周りを眺めているだけでも、自分もその一部である自然がいかに巧妙に成り立っているか、またそれを探索するだけで生きている人生は面白く楽しく過ごせそうな気がします。たとえお金がなくても。
判別方法 ①咲く時期は今書いたように、ハルが先(4~5月)、ヒメ(6~7月)。 ②つぼみの姿、ハルは最初うなだれる。ヒメはまっすぐに伸びて、逆三角形型に花が咲いていく。 ③葉の付き方。ハルは葉が茎を抱くようにして付いている。ヒメは、葉には柄がある。 ④茎。ハルは空洞。ヒメは空洞ではない。

一番よくわかるのは、葉の付き方です。それを見ればすぐどちらかが分かります。
こんな風に微妙な違いを持つものも、それぞれに棲み分けをして、それぞれが生きているものだと感心させられます。今日は菜種梅雨のような、1日しとしと霧雨のような雨が降り続いています。昨日の晴天は貴重でした。今回の台峯報告はこれまでとします。
      

「台峯歩き」 白い花の季節。 [台峯を歩く]

予報が少しずれて、今日はまだ晴れのお天気。山歩きには暑くもなくいい日和になりました。
小さな白い花が目立つ季節です。歩き出すと細い山道では一列になってしまい、Kさんの説明が後ろに伝わらないことが多いので、プリントが配られたとき少し細かな説明がありました。その一つに有名な「夏は来ぬ」の歌の内容です。

”卯の花の 匂う垣根に”ですが、卯の花はあまり匂いません。同じ白い樹の花で、エゴノキは良い香りがします。しかもこの花は俯いて咲いているので、高木になるけれど、見上げて鑑賞することができっます。というわけで、ここの匂うは盛んに咲いているの意、また卯の花だけの垣根は少なく、それを他の木の間に混ぜながら垣根にすることが多く、それはこの辺りでも見ることができました。
しかしこの卯の花の垣根にホトトギスがやってきて鳴く、というのは現実には考えられなくて、これは卯の花を眺めながら過ぎっていったホトトギスの声を聞くということなのだろう、という事。ホトトギスは他の鳥のように止まって鳴くのではなく、飛びながら鳴くのだそうです。鳴くときは、普通の滑空ではなく、羽根をばたばたさせながら鳴くのだそうです。又“忍び音”というのも、ちょっと分からない言葉で、「忍ぶ」、こっそりとというような意味ではなく、詰まったような鳴き方を言うのだそうです。トッキョ トカキョク という音は、確かにのびやかではなく、確かに喉を詰めて鳴く感じです。この鳥はこの頃南方から渡ってきて、ここで繁殖します。有名な托卵、ウグイスの巣に卵を産んで、ウグイスに育てさせるのですが、ずうずうしとは言えない事情があるのだそうです。すなわちこの鳥は体温調節ができない、分かれてきた元の爬虫類の痕跡をまだ残しているからだそうです。だから体温を上げて卵を孵化させることができないらしい、必死の選択をしているのだ…と。
自然は不思議なことだらけ、また、ここでも述べましたガビチョウについて、またほとんど見分けがつかない、ハルジオンとヒメジョオンについても回を改めて書くことにしますが、今日はここまで。

春の台峯歩き [台峯を歩く]

明日から崩れるということだが、彼岸の入りの今日はいいお天気である。台峯歩きに出かけた。
春のせいか参加者が多く30人近く、新しい人も多く、そういう人たちはなるべくKさんの近くで説明を聞いてくださいということで、歩き出す。
報道では遅れていた桜も、このところの急な暖かさで咲きはじめ、記録を取り始めて最も早くなったとか、ここでも桜の開花を目撃する。普通ならばイヌシデの雄花(地味な、白っぽい緑色の、小さな房状)が咲いてから桜が咲くそうだが…、同時に咲いているのである。暖かくなる前は冬の寒さで、今年は春と初夏が団子状になった状態だとのこと。

早春の木の花は、皆小さくて余程よく見ないと分からない。黄色い花簪のようなキブシは目立つが、オニシバリ(沈丁花の親戚、花もそれに似ている)、ヒサカキ(姫榊であり、榊よりも葉が小さい)、などは小さく葉の下に密集しているのて、指摘されなければ見落としてしまう。その中でもウグイスカグラの紅色の小さな花は可愛い。これも本当は2月に咲くのだそうだが、ここでは今も咲いていた。
後は道端の野草の新葉や小さな花に注意しながら歩く。
ヒメウズ(とても小さいオダマキ)、タチツボスミレ、ヤエムグラ、オオイヌノフグリ、オランダミミナグサ、キズタ、サネカズラ(ビナンカズラ)、スズメのカタビラ,ヨモギ、スイバなどいろいろ、いわゆる雑草といわれる類だが、これら野草は斜面に生えるものと平地に生えるのは違っていて、平地に生えるのは(ここは人間が耕した畑などの跡地)抜いてもいいが、斜面(昔の地形に残っている在来種が多い)に生えるのは生態系から見ると大切なものがあるので、残してほしいという。
たとえばこれから多く見られ、るヒメオドリコソウ(姫踊子草)は外来種だが、よく似た在来種のホトケノザを圧倒している。

鳥は、ヒヨドリの騒ぐ声、これはヒヨドリの中には渡りをする鳥がいて(と言っても東北や北海道くらい)それらが集まっているという。カシラダカ、モズ、それからもちろんウグイスは、まだちょっと下手だがその声を聞く。この辺りのウグイスは、20組くらいいて、少々過密らしいという。
またこれも珍しいという小さな野鳥のキクイタダキが見られたとのこと。(実は私はその鳥を確認できなかった。鳥の姿を見るのは苦手である)

田んぼには、タネツケバナ(ナズナの親戚で、白い小さな花が咲いているが、水面の一部が赤くなっているのはアカウキクサだそうで、これまで見られなかった。これが蔓延るようになって来て田んぼに悪い影響を与えているそうである。陽射しを遮ってしまい、田んぼの水面の温度を下げてしまうからだという。

今日は、この会でも初めてだという出来事に幸運にも遭遇した。、湿地帯の水たまりで蛙が産卵する現場を目撃出来たことである。この水たまりは、昨日の山の手入れの時に、蛙の産卵場として作っていたとのことで、それをちゃんと蛙は見つけてそこに来たのである。ガマガエルらしい。
また、すでに産卵の終わった、その卵(ビニール紐のように連なっている)も流れの淀みで、Kさんが見つけ、それをちょっと取り上げ、皆に触らせる。
出口辺りにモミジイチゴの小さな白い花。

今日は人数が多いので、時々バラバラになったりで歩き終わるのに少し時間がかかったが、12時半ごろ皆無事に歩き終え、来月の春の盛りの時期を楽しみに散会。

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