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寒中の「台峯歩き」 [台峯を歩く]

この台峯を歩く会は、今日で151回目を歩みだします。自然を守る基本は、そこにどういう植物が生きているかということだということ、そこから自然の営みが見えてくるのだというのです。その姿を見続けるために毎月歩き、手入れをしていくのです。

さてこのところカラカラ天気の寒い日が続きます。
2、3日前が底の日で、その日はこの家でも氷が張りましたが、今日は張ってはいないものの寒さが累積した感じで、集まった人たちも口々に寒いと言い合います
それでも参加者は、16,7人、新しい人も2,3人いました。しかし目にする花はロウバイぐらいなので、今日は冬樹の幹の識別を専らに、ということになります。

これが大変難しい。例年やっているのに少しも覚えられず、また若木や老木によっても変わってくるのですから…。幹だけではなく、枝振りや枝の付き方(伸び方)がそれぞれ特徴があり、観察すれば識別できるのですが…。
これがなんの役に立つか…と言われれば、とKさんが笑いながら言います。何の役にも立ちません、単なるオタク的な楽しみにすぎませんが…と。でもそういう種類のそんな樹がそこに在ると、確かに認識することで、その樹と親しくなることなのでしょう。
暮らしの中で里山と深い関係であった昔の人は、そういう識別は普通の事だったに違いありません。
薪にするクヌギ、コナラは、ここにも多いのですが、ヤマグワ、カラスザンショウ、ムクノキは後に増えてきたものたちです。これらは生長が早く、昔だったらまた里山の所有者であればなるべく伐採したい樹だが、鳥には好まれる樹なので(その実を食べに寄ってくる)個人的には好意を持っているとKさん。

今日のもう一つのメインは、野鳥を見ることでした。
葉を落とした林の中では鳥の姿が捉えやすいからです。しかし今年は冬鳥が少ない、とのこと。
確かにこの家でも以前はうるさいほどやってきていたヒヨドリの声があまりしません。鳥の姿がめっきり少なくなりました。スズメも(今絶滅危惧種になってしまったようですが)来ません。

さて目撃した(ほんの瞬間の鳥の影も含め)鳥は、メジロ、ホオジロ、カワラヒワ、ヒヨドリ、トンビ、コゲラ、ルリビタキ、アオジなど。
この地に昔沢山いたのはホオジロで、スズメと同じくらいの数だったということです。
しかし今はその数を減らしている。それに対してコゲラは、今一番増えている鳥だそうです。
それはホオジロは草の実を食べていたからです。それら食料とする雑草が宅地開発によって無くなったからで、コゲラは立木があればよいからでしょう。
これらの事からも、植物が生き物たちの底辺を支えていることが分かってくるようです。
では今日はこれまで。
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台峯歩き「下を向いて歩こう」の日。 [台峯を歩く]

昨日の日曜日、関東地方は冬晴れで富士をはじめ箱根から丹沢までの山並みもくっきりと見え、冷え込んだものの歩くには気持ちのいい日和でした。
今年最後の歩く会です。月に一回同じところを歩くこの会も、今日で150回(13年目)を迎えたのだそうです。
台峯を残そうと活動をする会はいくつかありそれぞれに意見はあるものの、お互い話し合いながら、出来るだけ今の姿が保全できるように手入れをし見守っていくということ。

絶好の日和ですが、「今日は下を向いて歩きましょう」とK さんは言います。
もちろん、下ばかり見ていては首に悪いから、時には空を仰ぎ美しくなった黄葉(紅葉)を眺めたり、耳を澄ませて鳥の声を聞きながらですが…と。
今年は本当に大変な年でした。
Kさんも親戚が被災して、何とか今は落ち着いているとか…。誰もがそれぞれに直接被害は受けなくても、心身ともに大きなものを抱え込んでしまった今、どうしても下を向いて歩いてしまうでしょうけれども…。

いえ、それだからではないのです。「今日は落ち葉や木の実をじっくりと観察しながらというのをメインにして歩きましょう」と言うことでした。この辺りはやっと黄葉(紅葉)が美しくなりました。やはり1週間ほど遅れているそうです。しかも台風による塩害で枯れたり色が悪いところも多いと。確かにこの家の前方の雑木林も白っぽくくすんだ色で、いつもとはちがう感じで海風は当たらないはずなのに…思っていたのですが、何とか見られるようになり、我が家のカエデも今が盛り、落ち葉掻きに追われるようになりました。でも今年はそれらを堆肥にしないで燃えるゴミに出すことにします。微量であっても放射能が累積するかもしれないと思って。
さていろいろな落ち葉のサンプルがコピーされた資料を持って歩くことになりますが、去年もまた一昨年も同じことをやっているのになかなか覚えられません。
ケヤキ、コナラ、クヌギの落ち葉は12月まで地面に残り、堆肥になります。
ミズキ、アカメガシワは、昔はなかったもので、新しく入ってきた種族、イヌシデ、エノキなどこれらの落ち葉を手に取って揉むと、粉になってしまうが、それは堆肥にはならない。すなわち葉肉が厚くすぐ分解しないものが腐葉土となって土の栄養になるとのこと。
それらの見分け方は、葉の形、ギザギザの付き方、葉柄の長さや色や付き方、葉脈の走り方などよく見れば同じようでいて違いがあって、人間と同様に微妙な違いで個性を発揮しているのに感嘆させられます。今は葉っぱで見分ける樹木図鑑のようなものもあるので、ここには書きませんが、Kさんのように何を見せてもすぐ答えてくれる、その識別方法を指導してくれる人と一緒に歩くのが一番です。でもそれを毎年忘れてしまう私なので、自分でもがっかりです。

この辺りは紅葉は少なく、寺院に植えられている園芸種のカエデ以外は、野生のイロハカエデとハゼ、カマツカというサーモンピンク色のものくらいです。でもエノキなどの黄葉も、青空の下太陽の光を透かして眺めると黄金に輝いて素晴らしい美しさです。

木の実としては、カラスザンショウ、スギ、ハゼ、エノキ、シデなどの実、それらの姿もまた落ち方もそれぞれで、皆種族の繁栄に術を凝らしているわけです。
2つの田んぼに先月、暖かさで青い葉をつけていると述べましたが、それに穂がついているのでした。しかも陰になっているところには霜がびっしり、可哀そうにも稲は無駄な努力をさせられているのでした。
野鳥は少なくなっているようです。それでも池には子連れのカルガモ、ヒヨドリやシジュウカラ
、コジュケイなど。

16日、政府は「原発事故収束」を宣言しました。もちろんこれからが困難だとは言っていますが。台峯から帰った夜、「NHKスペシャルシリーズ 原発危機」で初めて原発事故の現場の綿密で詳細な真相が放映され、それを見て愕然としました。やはり原発はメルトダウンしただけでなく、(3月12日午後1時に)メルトスルー(格納器が壊れて下に落ちる)までしていたのです。しかも事故の拡大を防ぐチャンスはありながら、それが分からなかった、スリーマイルではその危機管理がなされるようになっていたのに、それを学んでいなかった。日本の原発が危機に陥ることはないと、管理委員会は信じていた。「原発安全神話」を信じていたのは、彼らなのでした。そしてそれを政府は隠し続けた。私たちは真実を知らされないままでした。
そこでの現場関係者の実名インタビューで、そのことを認め、しかもまだ事故は収束に至ってはいないと言っています。

同じ日のお昼の「日曜喫茶室」は、今年最後でもあり、3・11の事もあって、いつもは常連客として登場する4人(安野光雅・池内紀・轡田隆史、荻野アンナ)にそれぞれ、そのことについて語り合う特別番組になっていて、そこで安野さんが、先の大戦の終戦間際、敗戦に敗戦を重ねているにも関わらず、大本営発表では、「転進」していかにも勝利しているように報じた方法と同じで、国民に真実を語らない政府の隠蔽態度は、その時と全く同様ではないかと憤慨していましたが、まさに3・11の後、天皇が姿を見せ、原発事故が知らされたとき、終戦(敗戦)時と同じことが繰り返された、同じアヤマチを私たちはまた繰り返してしまったと感じた人も多いに違いないのでした。今回は「原発安全神話」を、その時は「日本は神国だから負けることはない」という神話を信じていたのです。その他はすべて「想定外」だったのでしょう。
これからどうなるか、どうするか、多くの課題を残し、それを抱きながら今年も暮れていきます。
明日滅んでしまうかもしれないかもしれないけれど木を植えると言います。パンドラの箱に底に残った希望という命を来年につなぎ、少しは良い年になりますように、皆様もどうかよいお年をお迎えくださいますように祈りながら、今年最後のブログといたします。
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秋の「台峯歩き」(異常気象) [台峯を歩く]

土曜日は前線通過のため台風並みの風雨が吹き荒れましたが、日曜日は晴れて南風が吹き込み20度を越す暖かさとなりました。そのためか「台峯歩き」の参加者も総勢で9人という少なさ、でもこのくらいがちょうどいい人数だ、とKさんは言います。あまり多いと声の通りが悪く、Kさんの説明も聞き取れなくなるので、出てきてよかったと思いました。

というわけで今日はゆっくりのんびりと、皆で気ままに道中を楽しみます。
でも誰もが心の底では、不安の霧が辺り一面に漂っているのを感じているに違いありません。昨日のような気象は11月としては珍しいと、Kさんは言います。この台峯の生態系にも色々な異常が生じていると。たとえば今年は蜘蛛の数が少なかった。それは餌がすくなかったに違いないし、また今丸々太っていなければならないものが痩せている。気象が荒々しく変動するのもその異常の一つだし、また夏に逆戻りしたような日もあったためか、新緑があちこちに見られる。新聞にも桜が一輪咲いた写真が載せられていましたが、ここでも桜が数輪咲いているのを目撃。
ここにある2か所の田んぼでは、刈り取られた後の株からまた稲が伸びていて、一面の青田になっていました。二期作の土地ではないので、それは枯れてしまいますし、木々の新緑も冬の寒さで、春芽を無駄にしてしまうことになります。あちこちで様々な天災が起こっていますが、こういう身近な自然にも異常が生じているようです。
しかも第2の田んぼに来たとき、手書きの立て看板がいくつも立っているのに出くわしました。崖(最近この辺りに宅地が建つにあたってコンクリの壁になってしまった)になっている上部に
どうもまた宅地開発されるらしく、それへの反対抗議の文面です。そこに家が建つと深い谷になっているこの辺りの日照はいっそう遮られます。「蛍も棲む、有機栽培の田んぼの稲も育たなくなる、開発反対」というのをはじめとする数枚のタテカンです。
とうとうここもまた…という思いです。ここだけではなく、先日も取り上げましたがこういう事態はいたるところで繰り広げられているというのが現状です。この地の緑はまさに屏風かカーテンの緑の壁です。ひと並びだけ樹木があって、その両側が宅地であるところが大部分です。
市の行政や保存の現状について詳しい人の話では、世界遺産への登録は、観光客を呼び込もうという商業的な計算であって、本当にこの地の自然や文化を守ろうという姿勢はほとんどない、今では地方に行けばどこでもあるその地の資料館(寺院による宝物館は別にして)のようなものもここにはなく、発掘による様々なものは記録も分類もされないままトロ箱のようなものに入れられ放りっぱなし、そしてじわじわと法の網をくぐる違法開発は後を絶たず、それを防ぐ方策も立てられない。これではその資格はないだろうと。

暗い話ばかりになりましたのでちょっと話題を変えます。
この辺りの紅葉(黄葉)は今月末から来月にかけてゆっくりしたものですから、今回もそれほどの彩は見られませんでした。そもそも楓のような木は少ないので、あまり綺麗な彩りはなく地味なものですが、それでも最近は紅色も見られるのはハゼ類が多くなったからだろうとのこと。今黄色に色づいているのは、エノキ、アカメガシワ、クワなどで、ヌルデやどこにでも巻きつくヤマイモの葉の黄色も緑の常緑樹の中で目立ちます。紅色ではコマユミとかカマツカとか、教えられてプリントの図を見てわかりましたが、一人では見つけられないでしょう。高山の鮮やかな紅葉の一つ、ナナカマドも出口辺りにあるのを教えられました。
鳥類では、アオジやクロジやウグイス(地声)、ヤマガラが鳴いていると言いますが私にはなかなか聞きとれません。
秋の青田の上を蝶が舞っているのも見られ、またヤマトシジミかウラナミシジミかという、小さな蝶が羽を休めているの、アカスジという昆虫の幼虫(この時期は赤い筋ではなく黒に白い筋を持っている)という不思議な虫も教えられました。このようにゆっくり観察していくと、人間には想定できない自然の不思議さ美しさ、巧みさにただただ感心するばかりで、その奥の深さを思い知るばかりです。そして私たちも、その中の砂粒のような一員として、ただ今を生きていく外ないのでしょう。
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「台峯歩き」の続きと台風通過。 [台峯を歩く]

台風は上陸後足早に、列島を縦断していきました。
激しい突風や雨に驚かされながらも、ここは特に何事もありませんでしたが、被災地ではまた何重苦になることやらと、そして各地でも様々な被害が出ていることなど見聞きするにつれ、胸が詰まり言葉になりません。
それでも今朝は向かいの空き家の大きな庭木が、道路に枝や葉っぱを大量に落としたのを片づけたりで、野分の後始末に追われました。

まだまだ長閑な台峯、それゆえここでは書く気持ちがなくなりますが、とりあえず簡単に記すことにします。
嬉しかったのは、田んぼがまだ健在で、稲穂を垂らしていたことです。

 稲穂が掌に重たく
 ここだけはもう黄金色の秋です
 鈍重な夏がなかなか腰をあげないことも
 籾を肥らせることになったのでしょうか
 大気の猛烈な渦が大きな足跡をつけていかない限り
 今年は豊作のようです

 シオカラトンボが飛び交っています
 やがて渡ってくるアキアカネに
 その場をゆずるころ
 爽やかな顔をした秋が
 顔をみせることでしょう

そんな風に眺めながら思ったのですが、さっそくの台風15号の来襲です。
そして台風一過の後の爽やかな秋空というわけにはいかず、今日も30度を超す残暑です。
田圃の稲穂は、どうなったことでしょう?

あと少しだけ。

 釣舟草が咲きはじめた茂みの奥のほうで
 古い幻燈写真のように
 南蛮人が ナンバンギセルをくゆらせています 
 丈高くなったヨモギは
 キク科の小さな白い花をむらがらせ
 つる草の仙人草も 白い花を目立たせています
 アンテナ状に枝をはる秋分草
 白花さくら蓼
 
 小さな白い花の多いこの辺りの初秋
 南蛮からおとずれ棲みついてしまった
 アカボシゴマダラ蝶が おおらかに羽を休めています 
 
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いまだ残暑の台峯を歩く(緑地伐採のその後) [台峯を歩く]

台風が二つも接近中で大雨・土砂災害が多発しているのに、この辺りはまだ残暑で、雨もほとんど降りません。
昨日は台峯歩きの日、朝から30度を超えそうな日でしたが参加してきました。
歩くといっても日陰が多く、高い樹木の谷戸の道中なので、家に閉じこもっているよりも気持ちが良いからです。それだけでなく前回のブログで、台峯付近の緑の傾斜地がまた大きく開発されそうだと述べ、陳情の署名を集めていると、ここでもお知らせしましたが、その後のことを知りたいと思うところがありました。

結果を先ず言いますとかなりいい方向に進んでいるとのことです。
というのも先日建設常任委員会があり(それで陳情の署名を急いでいたのです)それに間に合い、数日後の市議会でそれを審議してもらえる運びになったそうで、その席でこれまで案件が大規模伐採で、また緑を守る法案の1つ保存地区に隣接する「特別保全地区」になる予定の地であるのに関わらず4,000㎡の広さであること(1,000以下でないと認められなくなる)、それゆえそれは法案が成立する前の(この10月予定)駆け込み開発であることは見え見えで、委員たちはそれを認識していなかったそうで、地元や会の人たちが声を上げてやっと明らかになったのだそうです。それで市議会では建設許可は継続審議となりそう、また「特別保全地区」の法案も一か月早く9月に発効させる方向になったとのことです。
私も近隣の人だけでなく丁度読書会の分科会であるF会の集まりがあったりして署名を頼んだりしましたので、その甲斐があり喜んでいます。ご協力ありがとうございました。
その場所は、ブログでもよく登場させている、コースの目玉である休憩場所、通称「老人の畑」と呼ばれている見晴らしの良い丘の上の目の前に見える所でした。昔はその辺は段々畑であったらしく、その後樹木(桜の大樹も何本かあったそうです)が生い茂り林になっていますが、登記上は農地でありそれが何度か転売されて開発業者の手に渡ったらしい。
帰りにその入り口になるところも見てきましたが、うねうねした急な坂で(この両側は住宅地)頂上に近い辺りの広い一画、平坦なところに(段々畑があったところ)住宅が建つのはもう仕方ないにしても、崖地を大きく壊したり手を入れたりすることがないよう、市の管轄指導を願うということらしいです。今は技術が発達して自然に逆らって何でもできる時代ですから。
実はこういう問題は、ここだけではなくあちこちで起こっています。

こんなことを書いていると長くなり肝心の今日の歩きが書けなくなってしまいましたので次回に回します。実はこの日はマツムシの声を聴く夕べも同時にあったで、それも書く予定でしたが…。

ただ一言、今日TVでたまたま見た93歳の現役画家の堀文子さんのインタビュウーの中で、こういういう言葉があり心に残りました。晩年になってあちこちを旅した堀さんは「風景は思想である」とつくづく感じたそうです。その土地の風景はそこに生きる人々が自然を取捨選択し、その国の人々がつくった一つの思想であり、日本にもそれが大正時代まではあった…と。外国でも日本と同じような近代化の波はあるけれど国土が広いので、まだそういう思想のある場所が残っている…と。
「世界遺産」にしたいという市自体に、またそれを推進しようという人たちにそういう思想があるだろうか、またそれがこの国にできるだろうか。
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「洞門山緑地」その後(報告)。 [台峯を歩く]

台風12号の直撃はそれましたが、四国などでまたもや災害。気持ちの落ち着かない日々が続きます。本当にこの国はなんと災害の多い国でしょう! 特に今は、そういう時期にあたっているのでしょうか?

さて「洞門山」の事を覚えていらっしゃいますか?
2008年のちょうど今頃から、盛んにブログに書きました。JR横須賀線が北鎌倉駅に滑り込む頃の左手の線路沿いの緑地、裏の道に通じるトンネルの赤い石門からそう名付けられているここに、開発の手が伸びてきたので住民の反対運動がおこり、「台峯」歩きに参加している私もそれに加わって、署名やら業者による説明会への出席などもしたのですが、その経過をここにも集中的に書いたことがあります。
鎌倉に入る玄関口のような緑地、それへの保存を願う署名には近辺の人たちだけでない広がりを見せ、私も読書会の方たちだけでなくこのブログを読んでくださった方からも協力していただいたりしました。

その後いろいろ経過がありましたが、やっと保全する形で守られることが決まったようです。
それは新聞に報じられ(地方版やタウンニュース紙)ましたが、本当に大丈夫なのかを台峯歩きの時に確かめてからと思っていましたが、先月は雨で歩きませんでしたので延び延びになっていました。実際どのような形で保存されるのか、これまですでに崩されたところもあるので、どうなっているのかわかりませんが、実際の様子は又にして、報告することにします。
なぜ今書くことにしたのかというのは、実は台峯歩きの理事の方から電話があって、台峯に続く「都市緑地候補地」と言われるところがまた、急に大きく伐採されて、そのあたりが開発されそうだとのこと、それで急きょ署名を集めてほしいということ、それで昨日今日と近隣のお宅を回って、少しばかり書いてもらったからです。
ここだけではありません、そういうことがあちこちにあり、もちろん私有地なので強制力はなく、個人の事情もあり、古い姿を守るなど自体難しいことですが、「遺産」に登録してもらいたいという足元にはこういう問題が山積していることも事実です。

洞門山が保存されることになりそうなその理由は、業者が心を入れかえたというよりも、その地に至る経路、狭くて本数も多い踏切と交通量が多い幹線道路と同時に通学路でもある狭い路地を使っての土砂や重機の搬入や運搬が大変だということにやっと納得したというのが実情のようです。

ではここでは洞門山のその後のご報告とご協力のお礼まで。
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猛暑の台峯歩き [台峯を歩く]

なでしこジャパンがワールドカップで優勝!
日本女子の素晴らしさに、サッカーをあまり見ない私でもやはり興奮した。
この場面だけしか知らない私だが、そこに至るまでの並々ならぬ過程、精進があることを知らされ、感嘆する。
底力というのは、文字通り深い底がなければ成り立たないのだなあ…。
日本の底力も試されるときに違いない。

それらに刺激されたわけでもないけれど、猛暑のピークと言われた昨日、台峯歩きに参加した。空は雲一つない快晴。
台峯というけれど、峯歩きというよりそれに囲まれた谷戸歩きなので、山間の日陰が多く、集合場所までの往復(舗装道路)が暑いだけで、室内にいるよりはよほど涼しいのです。
参加者も馴染みの人ばかりの小人数なので、のんびりゆっくりと熱中症にならないように歩きました。
2か所の田圃も健在、そこで青田を渡る風やシオカラトンボたちを眺め、また通称老人の畑という見晴らしの良い高台では、林間の丸太の切り株に腰を下ろし、快い風を感じながらいつまでもそこに留まりたい気持ち、ここで午睡をしていたい感じで小休憩し、それから谷戸に入って絞り水の流れや湿地や沼、半夏生の(今年は遅れていて、この時期でもまだ半分白い葉っぱと華穂が見られました)群落などを眺めながら歩きました。
今回は特にチョウに着目して歩くということで、資料のカラーコピーには特にアゲハの絵が沢山。
この辺りは6,7種類い覚えておけばいいそうですが、何しろ相手は飛んでいるので、動体視力のない私は指摘されそれを追いかけるだけでも大変!
去年は沢山咲いていた合歓の花は、今年は少なく、またカラスザンショウの花もまだ蕾。一体に季節としては遅れているようです。

けれどもここにも今の日本が抱えている憂いごとと同様、ここ自身の憂いがあり、今恵みとして感じている田圃もまた老人の畑で見ている景観も、今後大きく変わるかもしれない、その気配が着々と伝わって来ていることを聞かされました。
ここに通いつめ、手入れをし、観察を続け、役所とも交渉し、この自然を守ろうとしている人たちでさえ、無力を感じさせている現状というものを知らされます。
そんな悲しい日が来るにしても、今のこの姿を見ることができるだけでも恵まれていると感謝しつつ、こうやって歩くしかない…と。

これら憂いはどうやったら晴れるでしょう。
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やっと「蛍」の続き。 [台峯を歩く]

身辺も心も落ち着かず、続きのブログをやっと書きます。

今日は早くも猛暑、また大雨や土砂災害、ここでは感じませんが余震も頻繁に報じられます。台風5号も北上中、なんとこの国は災害の多い国だろうと改めて感じ、そういう国にどうして原発を沢山作ったのだろうと、それを見過ごしてきた自分へのやり場のない苛立ち(こんなことを感じても何の役にも立ちませんが)も含めて、思います。
今のところ読書もほとんどしていませんが、少し前に読んだ故・米原万里のエッセイ集中「最良の教師」という項目があり、昔から青少年の教育についていろいろな哲学者がその方法について考察し論じているその中で、彼らが一致して認めていたことを要約すれば、「欠乏と必要性、要するに満ち足りていないことこそが人を懸命に努力させ頭と肉体をフル回転させる最良の教師なのではないか」ということであるそうだ。そして哲学者・教育者ルソーは反語法を用いて「子供をスポイルするのは簡単だ。彼が欲しがる玩具を全部買い与えてやるがいい」と言っていると。そして震災を知らずに逝った彼女はこう結んでいる。「何だか、モノに溢れる二十一世紀初頭の日本に住むわたしたちのことを言われているようで、ゾーッとしないのだけれど」。(『心臓に毛が生えている理由』)
被災地の大人たちの立派さは勿論ですが、それ以上に子供たちの姿が印象的なのも、この悲惨な現実に胸が痛くなるにもかかわらずそれが子どもたちの潜在能力を引き出しているような気がして、明るいものを感じます。この災厄が良い方向へと転じる機縁となりますようにと祈りつつ。

閑話休題。さてホタル観察会ですが、今年はやはり蛍は少ないようでした。遅れているのかもしれませんが。6時半に集合、暗くなるのを待って谷戸に入ります。大体7時ごろからです。それから1時間ちょっとぐらいが蛍が光り飛び交う時で、9時になるともう見られなくなります。たったの2時間弱、それが彼らの命を懸けた生涯での一大イベントなのです。この日朝は雨がぱらつき、前日まで雨でした。この日も取りやめになるかもしれないと、毎日のように通って蛍の出方を観察しているMさんは言っていましたが、Kさんは、少ないけれど見られますよとということで、出かけることになったのです。

雲が多いのでかえって辺りは真っ暗というより薄暗い感じ。しばらく歩いているうちに一つ二つと見つける人が出てきました。そしてある所の草むらにキラキラ光るところが出てきました。これは平家ボタルです。
源氏ボタルのほうが早く、平家はもう少し遅いはずなのに、今年は一緒に見られたのです。この二つは大きさが違い光り方が違います。源氏のほうが大きくまた点滅も間隔が長く、平家は姿も小さく点滅も小刻みです。そして源氏は樹間にいて上空を飛びますが平家は低い草むらにいることが多く、それで踏みつけないように気を使います。
今回はまず平家が現れて、そのうちに源氏が姿を見せました。その頃になるとあちこちで光りはじめ飛ぶ姿も見られ、歓声が起こります。
せせらぎや沼沿いに谷戸の奥まで歩き、またそこから引き返します。でももう帰りの時は数が少なくなっていました。数としてはせいぜい37~8頭ぐらいだとKさん。多いときは200くらいも出るのにやはり少なかったようです。
しかし蛍に出会えただけで満足です。皆そういう気持ちのようです。
なぜ蛍を数えるのに「頭」を使うのでしょう。昔の人は昆虫の中でもやはり特別なものとみて、馬や牛など同じ扱いをしたのでしょうか。
「今年も蛍に会えて満足しました」というと「本当に、桜と同じで蛍も短い期間に年に一度しか会えないものだから、日本人にとってはやはり特別なものに感じますね」と同意されました。
蛍は外国ではあまり良い印象を持たれず不吉なものにされることが多いと聞きます。でも日本では平安の昔から風情あるものと好まれています。虫を賞で、虫の声を雑音としてでなく音楽として愛するのも、やはり日本文化独特のものかもしれない。
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今年も蛍に出会えました。 [台峯を歩く]

先日の日曜日は台峯歩きで、続いてその夕べはホタル観察会となっていて、少々強行軍でしたがどちらも参加してきました。

朝の台峯歩きでは、ホタルブクロも今年は特に沢山咲いていて、田植えが終わった青田の上ではシオカラトンボが飛び交い、カルガモが子ガモをつれて若い苗の間を泳いでいるのが眺められました。花ではヒメジオン、コヒルガオ、そして可哀そうな名前を付けられているけれど小さな可愛い花を咲かせているヤブジラミなど。
雨の季節、白っぽい樹の花が多く、特に椎の木の花は強烈な匂いで存在を示すようです。その他、緑一色に見える山並みの中に白っぽくなっているところはクマノミズキやアカメガシワだということでした。
しかし一体に今年は草木の季節は遅れているようだとのことです。蛍の季節には見られる半夏生(半化粧)も、まだ青いままでした。春の終わりに寒い日が続いたせいのようです。その頃私たち人間も大震災とそれに伴う原発事故のショックで落ち込んだり右往左往していたのでした(まだそれは続いてはいますが)。それでも季節はちゃんと巡っている、それに私たちは励まされ慰められています。この台峯歩きも私にとってはそんな効果があるような気が、今回特に感じました。それで、朝と夕べの両方ともに出ることにしたのでした。

そんな朝の歩きで、私たちは容易くは見られない光景に出会うことができました。まず田んぼにカルガモの訪れがあり、しかも子連れであったこと。それを眺めている時、フェンスの上でカマキリの子が孵化して、アリくらいの大きさのそれでも立派な鎌を振り上げた子どもたちを見たこと。そしてガビチョウ(蛾眉鳥:もともと中国で鑑賞用に飼われていもので、この辺りに棲むようになった)の番が枯葉を咥えて巣作りをしているのを間近に見られたという事。
まさに春は、そういう世代の引き継ぎのとき、新しい時代の始まりのとき、新しい何かが生まれる時でもあるでしょう。
「初夏」というのはあるけれど…とKさんが言いました。「若夏」というのがまさにこの季節だ、と。
また長くなりましたので、蛍については稿を改めます。
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台峯歩きをしながら、フクシマを思う。 [台峯を歩く]

大震災後から初めての台峯歩きです。この時期、田んぼではカエルが鳴いているだろうと思いながら参加しました。
思った通りで第一の田んぼでは盛んに鳴いていました。今の季節鳴いているのはシュレーゲル・アオ蛙です。コロコロッと澄んだ声でなく可愛らしいアオガエル。そして思いました、福島県川内村のモリアオガエルは、どうしているだろう…と。

川内村は、福島原発20キロ圏内に入っている村です。
この村に、30年ほども前になりますが、私は友人に誘われて訪れたことがあります。
何もないけれど豊かな自然だけはたっぷりあると言われた通り、広々とした阿武隈高原に降り注ぐ爽やかな光と清らかな渓流や豊かな海をわたる風、そこでの自然の恵みに満ちた村でした。
その村の沼(平伏沼)には、国の天然記念物に指定されている、モリアオガエルが生息しています。
その生息地としてはもう一つだけあって、それは岩手県の八幡平大場沼だということです。

その時、その沼には時期ではないこともあって行きませんでしたが、村にある「天山文庫」には訪れました。ご存知のようにこれは蛙の詩人(と名付けられるのはお嫌かもしれませんが)草野心平さんの文庫を中心に村人たちの協力で建てられた記念館風の文化施設です。
しかし今、そこには放射能が降り注ぎ、警戒区域になってしまいました。天山文庫も無人です。
その自然に恵まれた故郷に、村人たちは何時帰ることができるでのしょうか?

モリアオガエルは、どうしているだろう、とジュレーゲル蛙の盛んな鳴き声を聞きながら思いました。何とかこの田んぼは、田植えはまだのようですが今年も生き残れそうです。
でも米どころである東北地方は大津波に襲われ塩害で、多くの田んぼが耕せなくなってしまいました。そうでない場合でも、フクシマのように放射能汚染によって稲を植えることができず(稲だけでなくすべての農作物を)むざむざと放棄して立ち去るしかない事態の無念さを思うと、見ているだけの私でさえ胸がかきむしられる思いがします。

この日の夜、ETV特集で「放射能汚染地図」という番組を見ました。
またこの日、一号機が実は最初からメルトダウンしていたということが初めて公開されました。
そして他の号機でも、油断がならないというような、深刻な状態になっていることも、初めて私たちは知らされました。
TVの番組は、チェルノブイリや東海事故などこれまでの原発事故の調査団として携わってきた科学者二人を中心に、NHKの記者やカメラマンとともに事故発生当日から計数器を持って(これも独自に開発された測定器なども持って)車で各地を走りながら数値を観測したものを中心に構成されたものです。しかし現役の科学者は、属している機関から「自主的な動きはしないように」と釘を刺されているとのことだが、若い方の科学者はまだ幼い子供がいて、そんな子供たちのためにも正確な数値、記録をきちんと残しておいてやりたいという、それが動機でそのため辞職して、独自に調査を始めたのだということである。その分析は、広島・長崎その他の科学者のネットワークによる協力によってなされ、そのこれまでの2か月の経過を追いかけていると、時にはチェルノブイリを上回るホットスポットがあったり、予想を上回る数値であったりで深刻、政府の公式発表がいかに事態に追い付かず片手落ちで住民たちを苦しめているかが察せられ早い収束などありえない気がして気が滅入ります。

シベリヤから帰ってから50年、数羽から始めて3万羽にまで増やした鶏をすべて餓死させねばならくなった養鶏場主、射能汚染下に留まりながら母馬を無事出産させてやりながら仔馬を含めた競走馬をすべて手放さねばならない牧場主、また受け継ぐことになる広い田圃でコメを作ることと将来の夢としていたが今や農業を続けることさえできなくなった若者など、これまでの成果やこれからの夢をすべて根こそぎ崩壊させてしまう原発事故。これは氷山の一角で、一人一人それぞれがこれに似た運命に遭遇しているということ。これが天災ではなく人災だということに悲しみと怒りがこみあげてきて、台峯歩きで疲れていたのになかなか寝付かれませんでした。
というわけで肝心の台峯歩きの話が脇道にそれてしまいました。続きを書くかもしれません。
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