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「憲法の集い 2011鎌倉」‐井上ひさしの言葉を心にきざんで‐に大勢が参集! [北窓だより]

4月11日の今日、震災から1か月です。
冬のような寒さのため遅れていた桜も、このところの暖かさと一昨日の雨で急にいっせいに開花し始め、この辺りもほぼ満開、そのほかの花たちの開花、木々の芽生えとともに柔らかな美しい春景色を描きはじめました。被災地の人の目からみればこれは、まさに夢の世界のように思えるのではないでしょうか。(しかしこののどかな春の景色も、その上には放射能が浮遊していることを思えば、不安の靄が晴れませんが)。そして今報道などによる被災地の悲惨で無残な光景は、まさに私にとっては悪夢ではないかと思えてきます。しかしそこでの悲しみや苦しみ辛さは、ただ思いやることしかできず、何もできないのです。ただ自分の無力と言葉のむなしさを感じるばかりです。
そういう中で昨日に続き今日がまた始まるといった日常が続きます。そんな日常でさえ失い、それを取り戻そうと必死になっている人のことを、せめて考えながら、これを今書いています。

4月9日は井上ひさしさんが亡くなってからちょうど1年目、この鎌倉・九条の会の発起人の一人である氏をしのんでこの会が持たれました。
「むずかしいことを普段のやさしい言葉に的確におきかえ」憲法や平和について語りかけてくださっていた井上さんにとって「平和」とは、「日々の暮らしがおだやかに続くこと」でありました。まさにそれが根底から脅かされようとしている今、この会は「井上ひさしの言葉を心にきざんで」をテーマにして開催されたのでした。
これも非常に奇しき偶然というか、少し前に書いた「遠野講座」と同様不思議にも3・11の大災害に出会ってしまったのでした。この案内は2月初めにもらい、さっそく予約をしていたのですが、はたして開かれるかどうかと危ぶんでいたものです。
その日は運悪く前日から雨になってしまいました。夕方はもう上がっていましたが一日中どんよりした雲が空一面広がっていました。
この集まりはいつも参加者は多く、大ホールにもかかわらず前回も満員で、当日売りはキャンセル待ちだったことを思い出し、お天気も悪いことだしとは思いつつ開場(開演前30分)より30分近く早く行ったのですが、すでに長蛇というよりエントランスいっぱいに行列がとぐろを巻いていました。プラカードで示された最後尾に付いたのですが、そこには2列と書かれた文字が4列と訂正されていたことかも分かるように、次々に人波は押し寄せていたのです。やはり戦争を知っている年配者、中高年が多いですが、中には杖を突いた白髪の高齢者もあちこちみられ、皆「粛々と」指示に従い待っている様子でした。もちろんすでに満席でしたし、入場してからも1・2階はすぐに満席、3階はまだ残っているといわれている時、舞台の両袖にも椅子が並べられ、舞台にもどうぞとアナウンスがあり、最初は尻込みしていた人もだんだん上がっていき、最終的に50人近くにもなりました。
説明によればこの会を支えた人の数は150人、実際に駆け回ったスタッフは50人だそうで、大変手際よく運ばれました。「福島・九条の会」の人も駆けつけたとのことです。
(このことからも分かるように、この盛会ぶりは、ただ大津波といった天災だけではなく、それに重なる原発事故という、明らかに人災といえる災厄故であったと思われます。それが戦争や憲法問題と結びつきます。チェルノブイリに近づきつつあるかもしれない今)

さて肝心の講師の顔ぶれは次の通りでした。
(一応パンフレット通りに書きます)

大江健三郎(作家 九条の会呼びかけ人)
 ・九条を文学の言葉として
内橋克人(経済評論家 鎌倉・九条の会呼びかけ人)
 ・不安社会を生きる
なだ いなだ(作家 医学博士 鎌倉・九条の会呼びかけ人)
 ・靖国合祀と憲法

3・11があったから思われますが、最後に
小森陽一(東大教授ー日本近代文学 九条の会事務局長)さんが駆けつけて閉会の辞とともにメッセージを話されました。
当日は、ちょうど井上さんの最新刊「グロウブ号の冒険」(岩波書店)の校正をやっている最中で、帰れなくて泊まり込むことになったとのこと。これも奇遇ですね。そしてこれは会場でも販売していましたが文芸誌『すばる』の最新号(5月)に「井上ひさしの文学」の座談会が連載として始まり、それに小森さんも加わっています。

内容についての概略(今回の大災害にもかかわる内容なので)を少し紹介ながら考えたかったのですがあまり長くなるので次回にします。
東北を何よりも愛され、そこを舞台に次々と小説、戯曲などを書かれた井上さん(「新釈遠野物語」もありますし)。テレビの人形劇で人気のあった「ひょっこりひょうたん島」のモデルになったといわれるのは岩手の大槌町沖の「蓬莱島」、そこも津波に襲われている。
そこでのテーマソングの歌詞を引いて被災者の人を励ましている若い人の新聞投稿者の声を、この講演会で紹介していましたが、それをここに書くことで次につなげたいと思います。
 「井上さんの作品には、世の中の不条理が克明に描かれると同時に、『希望』がある。日本人の弱さが垣間見えたかと思うと、信じてやまなかった日本人の強さも描かれていた。」と書きそれがこの歌詞に凝縮されている思い、苦難の生活を強いられている東北の人たちに、いまは笑う余裕などないかもしれないが、この先この遺志が人々の支えになると信じている、井上さんも天国から願っているに違いないと結ぶ。22歳の大学生である。
その歌詞=「苦しいこともあるだろうさ 悲しいこともあるだろうさ だけどぼくらはくじけない 泣くのはいやだ 笑っちゃおう 進め」。          以下次回
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東京コール・フリーデ定期演奏会に行く [北窓だより]

会場は浜離宮の朝日ホール。友人Tさんが属ししている合唱団(指揮:伊佐地邦治)である。
開演は2時で、天気は晴れ、穏やかなので地下鉄に入ろうとしたときふっと思い立って、お堀端を少し歩いて行くことにしたのである。
休日のオフィス・官庁街は森閑としている。お堀端をランニングしている人もほとんど見られない。時々若いカップルやと高齢のご夫妻。細々と芽をふいた柳に縁取られた緑色のお堀にはカルガモや白鳥、あれはユリカモメだろうか、また頭と羽根の黒いのは何カモ?などと眺めながら、かなり強い陽射しの中を和田倉門から馬場先門を通り日比谷まで歩き、そこから地下鉄に乗った。実はもっと近いと思っていたのだが、かなり歩くことになってちょっと慌て、地下には行ってからは勘違いしてうろうろと間違え、遅れそうになり汗をかいた。

演目は
 *ルイジ・ケルビーニの「レクイエム・ハ短調」
  昨年はケルビーニ生誕250年だったそうで、これはフランス革命によって断頭台に消えたルイ16世の鎮魂のために弟のルイ18世の依頼によって作曲されたものという。ソリストによる独唱・重唱がなくすべ合唱。オーケストラもない。ピアノだけの伴奏ですべてが合唱。一年間これに打ち込んできたというだけあって、人の声によるハーモニーの美しい響きを堪能させられました。
休憩の次に
 *清水脩 作曲 芥川龍之介 原作 松平進 脚色・作詞
   合唱のための物語「鼻長き僧の話」
これは語り手(宮沢賢治の作品などを歌や寸劇などに脚色して演じる独特の活動をしている俳優ー斉藤禎範ーが賛助出演)が登場して物語の展開をする。 面白い趣向であった。

アンコールには シューベルトの「菩提樹」、「セレナーデ」、日本の歌曲「お江戸日本橋」、また「アベマリヤ」などの大サービス。合唱団の日々の蓄積のほどが窺われるものであった。ゆったりとした豊かな午後をありがとう。
  
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映画 『ノルウェイの森』を観に行く。 [北窓だより]

催し物などは、忙しかったりして出かけなくなると、いつの間にかさっぱり腰が上がらなくなるなるもので、映画もこのところご無沙汰だったが、Sさんから「良かったですよ、お勧めです」と知らせを受け、今週いっぱいで終るということから早速出かけた。これまで見たいと思い、いつかは観るつもりであったのだが。

ベトナムの新進映画監督トラン・アン・ユンの作品は、繊細で官能的な美しさをもつ映像表現は素晴らしく私自身も魅かれていて、これまでも『青いパパイヤの香り』、『夏至』は観ていた。しかし今回は自国のベトナムではなく日本が舞台である。なぜだろうという思いもあった。
だがこれまでも舞台はベトナムであるが、自身はベトナム戦争の際に一家は亡命してフランスに渡り、その後彼はパリで育ち暮らしているので、その感性は東洋のベトナムを土台にしながらフランス文化の影響、すなわち西欧的な明晰で繊細な感性知性で磨かれたものに違いないのである。
そういう彼が、どうしてこの作品に、そして日本での映画作りに心惹かれたのだろう。

映像化に際して、春樹(トラン監督の作品の美しさに魅了されていたとの事)も本人と直接会って了解したようで、また題名にもなっているビートルズの曲を使うことも了承を受けたようである。脚本も春樹は目を通していてメモをつけ注文もつけたようである。キャストのオーディションや撮影などはすべて日本、なぜなら「僕が魅了されたのは日本らしい文化や日本人らしい佇まいであったからです。」とトランは語っている。

驚いたのは最初のシーンである。原作は37歳になったワタナベがドイツ行きの機内で「ノルウエイの森」を耳にして18年前の、直子と恋に落ちた時のことを思い出すことから始まるのだが、ここではそれを思い出としてでなく、現実の事実として始めるのである。すなわち共通の友人であったキズキが何の前触れもなく自殺してしまう。(その行為の現場から始まるのには驚いた)。親友を失ったワタナベは、誰も知らないところへと東京の大学に行き生活するのだが、或る日直子と再会して交際が始まることから実際の物語は始まり、その時すでに直子はキズキの死により深い傷を負い精神を病んでいるという展開になっていく。
東京で偶然直子と再会したワタナベは、その後直子と付き合いながら学生寮での学生生活をし、ちょうど時は学園闘争(1970年代)の真っ只中での大学生活やアルバイトなど、社会情勢のなかの若者としての生活を送る。その暮らしを語りながら日本のその頃の懐かしい情景(大学のキャンパスや学食、レコード屋、アパートや昔の家など)や風景が再現されているにもかかわらず、どこか違った感触があるのはなぜだろう。森や草原や渓流や滝や蓮池や雪山や海原や岩礁など自然の風景、そしてそこに降り注ぐ雨や風や波などが、登場人物の心の動き綯い交ぜにしながら描かれるその映像の素晴らしさに魅了されながらもこの美しさは、いわゆる和的ではないなあ・・と思うのであった。
水の使い方(プール、雨、波、雪など)、風の効果(草原や海岸などで)の巧みさ、そして日本らしい佇まいが好きだという監督の、当時の暮らしの細部(家屋そのものと同時に調度品や台所用品また衣装なども)が再現させられているのに美しさと懐かしさを感じながら思ったのは、これは日本そのものと言うよりは、監督の感性を通した日本の美しさだなあ、と思い至ったのだった。
表現とは皆そういうものかもしれないが、そういう彼独特の感性で、切迫した感情と官能、そこでの荒々しさと繊細さを自然の中に溶け込ませながら青春期の若者たちの姿として描いている映画となっているように思えた。
この小説は、春樹の中ではほぼ全体がリアリズム的な作品である。それがいまや日本という国を越境して世界的なベストセラー作品となっているように、トランの映画も日本でありながら日本を越えたものになっているのではないかと思うのであった。
最後は原作通り(予想通りでもあった)ワタナベが公衆電話から緑に電話をかけるところで終る。
「あなた、今どこにいるの?」という緑に、ワタナベは「僕は今どこにいるのだ」と思う。そしてどこでもない場所の真ん中から緑を呼び続けるのである。
まさにこれは青春の物語である。青春期の悩み苦しみはどんな国の人々にも共通する。ふっと私はサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を思い出した。
 
ワタナベは松山ケンイチ、直子は菊池凛子、緑は水原希子、その他のキャストも監督自身がかかわっただけに、みな的確であるように感じた。
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T温泉行き・つづき(蟹を折る話) [北窓だより]

今朝はここも氷が張りました。
すっきりと伸びた水仙が、清らかな眸のような花を咲かせています。
梅はもう咲いているところもありますが、わが家の蕾はまだ固いです。

今年は蟹を折ってみようと思っているとき、原利代子さんの詩集『ラッキーガール』に出合って面白く思いました。原さんも旅先で折り方を習いながら蟹を折ったようで、四川省 松藩県の黄龍という名勝地を訪れたときのことです。今年の年賀状もアメリカコロラドの国立公園のアナザシ族住居跡という不思議な土地の写真でしたし、あちこち珍しい地を旅行されるようです。

題は、「黄龍の蟹」

時々 蟹を折る
正方形の紙一枚で蟹を折る

四川省 松藩県の黄龍へ登ったときのことだった
O博士が蟹を折ろうと言い出した
天までも届く無数の石灰棚から流れ落ちる水はあまりにも美しかった
博士は水の中に蟹を見たのだったろうか
 
ホテルに戻るとロビーでにわかの折り紙教室が開かれた
クロレラ研究の第一人者O博士の折り紙教室だ
ホテル備え付の質の悪い便箋を折り紙にし
博士は太った身体を丸め一気に蟹を折っていく
丸っこい指が器用に動き
二本の爪足と八本の足を具現していくのだ

 (中略)
 
(そして原さんをはじめグループの人たちは皆熱心な生徒となって一緒に折っていったのである。「蟹はまことに複雑な題材であった」と書いているように、初心者には難しい部類に入る。
一枚の紙であらゆる立体的なものを折りあげる日本の折り紙の精巧で複雑な技法は、芸術品とまでいえるくらいで目を見張りますが、それは到底かなわぬもの、初心者でも折れるくらいのものを習得するのがやっとですが、そこでも蟹はやはり難しいもののようです。原さんたちも、帰りの飛行機まで持ち越した人もあったようだが、原さんは無事習得されたようである。そして)

今でも ときどきあふれるように蟹を折りたくなるときがある

出来上がった蟹はボールペンで目玉を入れられテーブルの上に鎮座する
しばらくは ガニガニと足を広げそこに居るのだが
いつも いつの間にか居なくなってしまう

蟹は戻っていくのだろう
わたしの脳髄の奥深く
黄龍の石灰棚の清らかな水が流れ続けているところ
「蟹の折り方」というマニュアルのあるところへ
きっと戻っていくのだ          
まぼろしの蟹よ
 
                        『ラッキーガール』より

音もなく降り積もっていく雪の温泉宿、清らかな水が流れていく渓流の音を聞きながら折った私の蟹、少々ギクシャクしているのも表情があっていいといわれたその濃い緑の蟹はまだ棚の上に居ます。もう一度折るにはまたテキストを見ながらしか出来ないかもしれないが、その行為はまた雪国の清流へと遡っていく、私のまぼろしの蟹をつくることかもしれない。
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T温泉行き 26年目になりました。 [北窓だより]

お正月も七草となりましたが、明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いします。

恒例の温泉行き、日本海側は大雪という情報で交通機関など心配していましたが、不思議にも豪雪地帯であるあちらは、むしろ雪は少なめでした。その代わり山陰や会津、また九州などの方が大変だったようですね。所にもよるのでしょうが、ちょっとした気象図や地形によって変るもののようです。とにかく今年はまだ一度も雪下ろしをしなかったと言ってましたし、2日は青空も覗いたりしました。雪が楽しみな私たちとしてはちょっと残念なくらいでしたが…。いつものことですが、大雪ではないと言っても一面の雪景色であるかの地から、トンネルを抜けるや太陽いっぱいのカラカラ天気であるこの地に帰ってくると、まさに夢の世界から帰ってきたような感覚になってしまい、しっとりとして雪と闘い、楽しんで暮らしているかの地が懐かしくなります。
でもこの七草の日、東京は初氷とか、あちらもその後雪が降り続いています。きっとこれからが雪も寒さも本番となることでしょう。

さてそのT温泉行きですが、はじめは10人を越える参加であったのに、間近になって体調を崩したりインフルになったりして結局6人というこれまでとしては一番少なくなってしまいました。子どもの頃や中学生時代に参加したことがあり、その後結婚して共働きでなかなか休暇が取れず、やっと互いに休暇が取れて楽しみにしていたカップルや双子の一家など、若いメンバーで賑やかになるところだったのに、いつもより静かで淋しいお正月となりました。
お料理は例年のように鴨鍋を初めとして岩魚を揚げたものを味噌仕立てにした鍋、自在鍋(いか、ホタテなどの海産鍋)を、また炭火で焼いた骨までぱりぱりの岩魚や鮎、刺身も虹鱒や紅鮭や手作りのコンニャクなど、そして天ぷらや酢の物、和え物なども地元の山菜やキノコを上手に調理したもので、味も姿も、そして器もだんだん洗練されてきてヘルシーで美味しくなり、元日に出るワッパに詰められたおせち料理は、いつものようにお昼用として部屋に持ち帰ることになります。元旦はお雑煮とアンコロ餅、お屠蘇としての日本酒をお銚子一本、これらで今年のお正月も満足です。
2日に行われる餅つきも例年通りに2臼、ご主人も杵を持ちます。これも前に書きましたので省略しますが、この餅つきの最中に到着する若いお客も今年は多いようで、この日に行われる古い古い常連さんたちの新年会のメンバーが(多分)しだいに減っていると思われるなかで、世代の交代もじわじわと行われていると思わずにいられません。26年目にもなった私たちのグループがそうである様に…(いつまで続くか実のところ分かりませんが)。

温泉での日々ですが、これも前にお話したとおりこのラジウム温泉の主浴場は人肌程度のぬる湯なので1時間でも2時間でも入っていられるので、日に何度も入ることになり、それでたいていは湯に浸かるか、それぞれ本を読むか、疲れて敷きっ放しの布団で寝るかですが、今回は昔取り寄せて少しやったもののそのままにしていた折り紙講座のテキストと折り紙を持っていき、それで蟹を折ることに挑戦しました。講座の基礎編で最後のほうにある蟹、つれづれに任せてその折方を習得しようと思ったのでした。ところが私よりもKさんが興味を示し、それにはまりこみ、全くの初心者なのにテキストをひっくり返しながら苦心惨憺、大晦日から元旦午前2時過ぎまで挑戦して、とうとう折り上げてしまいました。(どちらかといえば理科系に強い彼女は、集中力もまた人並み以上)。
それで元旦は、彼女を先導者としながら私を含めた何人かで蟹を折ることに挑戦、大小あわせて6匹の蟹が仕上がりは様々ながら何とか勢ぞろいしたという訳です。
これまで放置していた蟹を折るということを今年は温泉地でやろうと思っていたその時に、頂戴した原利代子さんの詩集『ラッキーガール』の中の一篇に蟹を折る話が出てきたのには驚きました。実はそのことを書こうと思ったのですが、あまりに長くなるので、その詩の紹介などは次回に回します。
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インド音楽 シタール演奏を聴く [北窓だより]

ちょうど2年前のこの時期、ブログにも一度書いたことがあるこのインド音楽の演奏会に、今年も昨日聴きに出かけた。
シタール演奏は、ヨーガ教室の堀之内博子先生の夫君、幸二先生である。
三味線とギターを合わせたようなシタールという楽器は、インドの代表的な弦楽器で13世紀ごろ古来からのものを改良して作ったのが始まりという、北インド音楽で使われる楽器である。本胴と共鳴胴は乾燥したトウガンから作られ、長いネック(三味線の棹に当るか)は特殊な木材。当初は3本弦であったが、後に7本になり、現在では18~20本の弦を持つ洗練されたものになったとのことだが、そのうち18~20本が共鳴弦ということからも分かるように弾き方はギターのようだが、旋律が共鳴して深く広がりのある音色をひびかせるようだ。1オクターブが22の微分音に分けられるというのもよく分かる。複雑微妙な自然の音色に近いのかもしれない。
シタールのほか、前回と同様タブラというインドの太鼓、演奏も前と同じ龍聡さん。今回は、タンブーラ(今野敬次)というシタールを一回り小さくしたような楽器が加わりこれは低音部をずっと奏で続ける。
前回も書いたが、旋律も時間帯に沿ったものになるというのも、音楽があくまでも自然の中にあるということを意味する。今日は夜のラーガから始まった。会場は真っ暗になり、演奏者の前に置かれた、小さな蓮の花の中に蝋燭を灯したような小さな照明だけで演奏される。少し聴き慣れたせいかもしれないが、同じようでありながら微妙に変化している旋律は、懐かしい瞑想的な世界に引き込まれる感じがした。

休憩(この間、マンダリン紅茶とクッキーが饗された)を挟んでの第2部の最初は、日本の歌、赤トンボや五木の子守唄などが演奏される。
シタールは三味線のルーツとされるというように、日本の古い旋律と同様5音階であることから、そういう日本人の心に響き懐かしく感じられる民謡と共通するところがあるようだ。沖縄の島歌もそうであり、結局そういうものすべては通じ合うのかもしれない。タブラの繰りかえされる響き、それは16音符であり、シタールもそのリズムに乗って奏でられる。両者が合わなくなると迷子になってしまうそうである。微妙なタイミングのタブラのリズムは、何となく日蓮宗徒が叩くウチワ太鼓の テンツク テンテン ツクツク というリズムにも通じてくるような気がした。

最後は朝のラーガという曲で終ったが、1時間半というのは短く、もう少し聴いていたかったと思う。林間で静かに目をつぶって瞑想しているような気分にひと時を過ごして、早くも年末商戦で賑わう横浜の雑踏を抜けて帰ってきたのだった。
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女郎蜘蛛たち [北窓だより]

急に秋冷、秋雨という日々になって、夏の猛暑の記憶はどこへやら。
小さなわが家の庭には秋の草花でいっぱいです。
ここには女郎蜘蛛たちが大きな巣をかけています。

蜘蛛がいるのは自然が残っている証拠だと、台峯歩きのときのKさんの言葉。
なるほど、廃屋や荒れた庭などにすぐ蜘蛛たちが巣を作るのは、それが自然に帰りつつあるからなんだ!

わが庭もほとんどガーデニングめいたことはやらず剪定も最低限、草ぼうぼうにしているので、特に秋の今はまさに野原の風情。しかし野の草が皆可愛い花をつけ、なかなかです。桜色の花弁と黄色い花蘂の秋海棠、ホトトギス、紅白のミズヒキソウ、タデなど。金木犀の束の間の香りと色が終ったあと、目を楽しませてくれます。
その南庭の上空に、それぞれ1メートルくらいの巣を張っている女郎蜘蛛が、4匹はいます。それぞれ風や虫などの通り道をうまく捉えて、大きな見事な巣をひろげています。それで人間の通り道だけは遠慮してもらって彼女らの様子を眺めています。

家の中でもよく見かけますが(女郎蜘蛛ではない)、蜘蛛は虫を食べてくれるというので殺しません。ゴキブリも食べて欲しいのですが、それは無理のようです。
さてその女郎蜘蛛ですが、黒い脚には黄色い縞模様、太った胴体は黄色の地にラメを帯びた緑青色の縞帯、尻のほうに紅斑があり、いかにも名に相応しい装いで、広げた巣の真ん中に堂々とかまえています(大きいのは25センチほどにもなるという)。そしてそのすぐ近くにもう一匹小さな蜘蛛(全体で1センチにも満たない)がいることにある時気がつき、子どもかななどと思っていましたら、それが雄なのだとやっと知りました。なんという無知であることか!
そしてその雄は、秋も終りになり産卵近くになると、雌に食べられてしまうのだそうです。まさに身を捧げての愛です、とKさんは言います。雄というのはそういう存在なのですね、哀れなものです、と。カマキリもそうですが、産卵のための蛋白源として身を挺すわけですね。

この何日かの雨や風にも巣は耐えていました。しかし幾何学的に素晴らしい網目をみせていた巣もあちこち破れ、繕われ、二重三重になり哀れな姿になっていましたが、蜘蛛自体は丸々と太っていました。そしてどの巣にも、小さな雄の姿はありませんでした。
産卵も間近なのでしょう。そのうち雌の蜘蛛の姿は消え、空き巣となったぼろぼろの網が残されることでしょう。季節は足早に過ぎていくようです。
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音楽劇『銀河鉄道幻想』(作・のまさとる 原作(宮沢賢治の作品など) [北窓だより]

昨夜来の雨が上がった「体育の日」の夕べ、星空を眺めながら野外劇を楽しんだ。
以前にもブログで紹介したが、近くの高校生による演劇である。これまで何度も県大会や関東地区の大会に優勝、全国大会で2位を取った伝統のある演劇部である。

今回は、賢治の作品「銀河鉄道」に、賢治の子供時代や家族関係、その暮らしぶりや人生思想を重ね合わせながら、音楽あり踊りありのオリジナル作品で、樹木に囲まれた丘の上で虫の音を聞きつつ星空を見上げながらの舞台(演出から舞台装置、大道具・小道具、衣装やメイク、音響や照明などすべて手作り)は、若者たちの熱気と鍛錬された演技は素晴らしかった。

特に今回は、舞台の両脇に小さな回り舞台までが作られているのには感心した。それが賢治の家の中になったり、妹のトシのベッドになったり、銀河鉄道の車内になったり、賢治が農民たちに教える教室になったりして、場面をスピーディに展開させるのに効果的だった。
小道具や衣装もあの当時のしつらえで、着こなしもなかなか、着物姿で飛んだり跳ねたりも様になっていた。賢治は音楽好きだったがチェロを初めとした合奏も舞台上での生演奏もあって、楽しい音楽劇ともなっていた。

作家となった賢治が舞台裾に出てきて筋の展開を語るという形式で進んでいく。また、「どつどどう どどう…」の音楽と共に現れる風の又三郎や、最初と最後に賢治の家族写真を出演者で演じさせるという枠組みがあり、子供時代の賢治やその後の活動、トシの死を絡めながら、ストーリーとしては「銀河鉄道」に沿っていく。ジョバンニに賢治を投影させながら、カンパネルラをはじめとして、車掌や鳥捕りや燈台守、死神やカラスや、また火に体を燃やすサソリなど…、衣装も役作りもよく出来ていて楽しめた。そしてそのストーリーの中で、風土も気象も厳しく、そこでの貧しい農民の生活、それをどのようにしたら皆が幸せになれるかと自問し行動していく賢治の生涯を描いていく。脚本もしっかりしていたし、演技も大勢であるにもかかわらず、皆きりっとした動きと振り、しかもエネルギッシュで、若者の意気と努力を頼もしく思い、劇のクライマックスは感動させられた。これは今日でも、いや今日であるからこそ伝わってくる賢治のメッセージがあるからかもしれない。

劇の終り頃、斜め前にふっと落ちてくる小さな光があった。ホタル? と思ったが、もうその季節ではない。何だったのだろうか? 私の目の錯覚か? 分からないでいる。
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T温泉行き(承前) [北窓だより]

温泉行きに直接関係はないのですが、年頭に当って少しだけ。
帰った翌日の正月5日、BSの「日めくり万葉集」(もう再か再々放映になっていますが)を見ていましたら、次の歌が紹介されていました。

  「新(らた)しき年の始めの初春の
        今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)」 大伴家持

各界の人がそれぞれ心に残った一首を紹介するたった5分の番組ですが、とても興味深く聴きつづけていました。今回は、俵万智さん。育ったところが福井県なので・・いかにも新年に相応しいと。同じく家持もその福井、越前に国司として赴任させられ(左遷である)その地での正月の宴の席で作ったものである。
この歌は、4500首余りの最後に置かれたもので、これにはこの集を編纂した家持の気持が集約して込められているのだといったのは、篠田正浩さん。万葉集の時代、奈良時代は血まみれの権力闘争があった時代、しかも大伴氏は天皇に尽くしながら次第にそれからはじき出され排斥され没落していく過程でもあった。そしてこの集は家持の大伴一族の真情を守り抜くという信念から編まれたものであると。それゆえこの集は権力の非情さのアンチテーゼとして編まれているという。政治的にはそれら怨霊を鎮めるために「平安」と名づけ京都に遷都したのであるが、まさに今は「平成」、「昭和」という戦争に血塗られた時代から脱皮しようという願いもあるにちがいなく、何となく共時性を感じる。
新年と立春がたまたま一致しためでたい年であり、それを寿ぎ、この日しきりに降る雪
、そのようにいっそう益々吉事(よごと)、良いことが続きますようにという、情景とめでたいことを重ねながら詠んだ歌である。
口に出すことで良いことはやってくるという信念、「言葉」の力によって「事」を手繰り寄せようという家持の想いがあり、それがこの集に心血を注いだのだという篠田さんの解説が心に残った。
昨年は「源氏物語」を、さっとの走り通読であったが、やったので、今年は少し万葉集を読み込んで見たいという思いに駆られている。
そしてもっと言葉を信じ、言葉を大切にしようとも・・・。

以上が、雪の温泉から帰ってきた私の念頭の思いです。
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T温泉行き25年目も雪降り続く [北窓だより]

からからの晴天が続いていたこの地に、昨夜から今朝にかけて雨が降りました。
やっとお湿りという感じです。でも日本海側はずっと雪が続き、大雪になっています。
新幹線によって列島横断がたちまちに可能になった今、大雪に閉じこめられたT温泉でのお正月は、たった2時間余の間に、まさに異国、または夢の世界からこの世界に戻されたという感覚になり、不思議な、懐かしい気持を抱きながらそれらを思い出しています。

例年通り今年も、暮れからお正月にかけて3泊4日のT温泉行きも、25回目になってしまいました。宿の人にもそのことを言われましたが、上には上があって、40回という人もあるようです。それだけ温泉自体が昔からいい湯とされてきたわけですが、この宿のもてなしもまたいいからでしょう。本当に最近ではここが正月に帰省する故里のような感じになってしまいました。

今年は一人が本当に異界である天国に旅立ち、7名になってしまいましたが、ほぼ常連だけのメンバー、一人は急に仕事が出来て一泊のみという状態です。
昨年と同じように暮れ近くから日本海側は雪が降り続き荒れ模様になって来ましたので、交通事情が心配でしたが、往復とも無事。上越新幹線は、雪への対策が十分にとられているので、かなり安心できるのでした。何年か前、大きく乱れた事がありましたが、それも確か雪自体というより電気系統の故障だったようです。実際私たちの往路も、大雪になっていましたが新幹線の遅れはなく、ただ在来線はストップしてしまったとか。宿への道路状態も、絶え間ない除雪と警戒によって、ほぼ正常どおり。しかしそういう風に大雪でも生活や行動に支障がないように計らうためには、並々ならぬ土地の人の努力と働きがその陰にあることを見逃すわけには行きません。やはり雪国の生活は大変だと思います。しかしそこにまた自然と向き合うことの手ごたえと、苦しみ喜びがあり、生きる事への実感もある。そのようなことを、観光客として快適な部分だけを味わわせてもらいながら、少しばかり擬似体験させてもらうという事ですが、細胞が目を覚ます感じがするのでした。

雪は三が日絶え間なく降り続けました。屋根に積もった雪が打ち上げ花火の音のような音を立ててときどき落ちてきます。メンバーも最近はスキーに出かける人もなく、専ら温泉三昧。後は勝手に本を読んだり、眠ったり。TVで箱根駅伝も見ましたが、こちら側の晴天を、雪に降り込められた中にいて眺めるということになり、つくづく山脈という自然の屏風が作り出す自然現象の面白さを思いました。ここの温泉は前にも話しましたが、人肌よりも低い温度なので、何時間でも入っていられるからです。最近は若い人もいるようで、水に濡れてもいい本を持ち込んで読書しながら浸かっている人もいましたが、今年は見かけませんでした。

料理も大晦日の鴨鍋をはじめ1日2日とそれぞれ違った鍋が中心で、刺身もまたその他の料理も土地の物産ばかり、海老や蟹や肉類といった金目のものは使わず、串に刺し炭火でじっくり焼いて頭から全て食べられる岩魚、天ぷらも山菜とキノコ類などと全てヘルシーで、しかも元旦はお屠蘇代わりに銚子一本、お雑煮、欲しい人には餡子餅、おせち料理は曲げわっぱに詰められた、いかにも土地のお母さんが作った家庭の味のするものばかりで、これは食べきれないので部屋に持ち帰りお昼用にする…といったものです。これら料理も昔からではなく、時代と共に変ってきたもので、宿の事情や世の中の動き、それらによって年々変化してきたもので、それらが判るというのも同じところに毎年行っているという面白さかもしれません。

お餅搗きも健在でした。始めは何の張り紙もなく(古い人たちによる新年会の案内は掲示されていたのに)、大雪なので男衆は雪掻きに駆り出されたりして今年はやらないか3日か、と思っていましたらいつもどおり2日に行うとの事、11時半に玄関に集まりました。いつものように2臼、昨年まで杵を持っていたお年寄の代わりに若い人が主人と一緒につきあげます。女の人が水をつかって裏返す方法でなく、男二人だけで杵で最後まで捏ね上げる方法を、実演で見せてもらいました。清酒と漬物も供され、小豆の餡子と黄粉、大根おろしに醤油、の三種、私は今年はその三種とも全部賞味し大満足。今年はよく撞き上がった、と主人の弁。(そんなこともあって、体重が少々増えたようです)

もう少し別の話もしたかったのですが、長くなりますのでそれは回を改めてということにします。
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