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幻のドキュメンタリー映画『戦ふ兵隊』を観る [北窓だより]

「鎌倉・映画を観る会」の30周年記念として上映されたこのドキュメンタリーを見に行った。
これは1938年、日中戦争が泥沼化していく中、戦意高揚のため陸軍省の後援で製作されたものにも拘らず、内容があまりにも厭世的・反戦的であるため上映禁止となり、そのフイルムが発見されたのが1975年だったという幻の名作である。
今年は戦後70年、この国がまたいつか来た道をたどるのではないかという懸念が生じている現在、
戦争について改めて考えてもらいたいという気持ちからの上映という。
上映前20分に着いたのに空席は少なく、上映時には全席満員となるという有様で関心の深さも感じられた。

監督の亀井文夫は、当時の戦争映画とは違う映画を作ろうという気持ちがあり、撮影で中國人と触れあう中で「戦争で苦しむ大地、そこに生きる人間(兵隊も農民も)、馬も、一本の草の悲しみまでも逃さず記録することに努力した」という。
まさにそんな内容で、勇ましい戦闘の様子はほとんどなく、部隊が通過した後の村の様子や、戦火に追い立てられて避難していく難民たちの流浪の長い列など、また兵隊側も野営地で戦死した兵隊の火葬や弔いラッパや卒塔婆、残された背嚢から出てきた家族からの手紙や写真などで、「戦争と生命との悲痛な関係を」鋭く見つめ、記録し続けることで、戦争の非人間性に迫っていこうとしている。
最初のシーンは道祖神の祠に長い祈りを捧げる中国農民、また日本兵の部隊が通過したあと、その焼け跡に呆然とたたずむ家族たちの姿である。
そしてラストシーンは、長い闘いと行軍の果てに疲れ切った兵隊たちの、石像のように身動き一つなく深い眠りに入っている姿である。これが編集により短くなっているというが、その群像が静かに映し出されて終わる。
またナレーション、解説がなく、ただそのシーンに短いタイトル・表題をつけただけで(侵略していく道筋として簡単な地図で示される)、ほとんどが同時録音と音楽(古関裕而)で構成されていて、それを観る者の判断や気持ちにゆだねようとしている。
戦闘の場面がないわけではないが、それは機関銃を打つ兵士の顔のアップとか、広い荒野の、砲弾の飛び交う中を進んでいく兵士たちの俯瞰とか、前線に駐屯する中隊司令部のテントの中などで、勇ましい兵士というよりまさに戦場の臨場感が伝わってくるものである。
また軍が行進していった後、行軍に耐えられなくなったため捨てられていった病馬がたった一頭、崩れるように倒れていく姿をカメラで追いかけている。まさにここには人と馬との区別なく、戦争と命の悲痛な関係の実証がある。

この武漢攻略の最後に、やっと漢口にたどり着くのだが、街に軍隊が軍靴を響かせながら行進して続々と兵隊の群れが入ってくるシーンに胸が圧迫される思いがした。占領とはこういうものなのだという思いである。
そして、確かに戦いに敗れ、占領されたが、また国土は焼け野原となり原子爆弾を落とされたが、沖縄は別としてこのように他国の軍隊が自分たちの街の中に入り込んでこられた経験はなかったのではないかという思いである。アメリカ兵が駐留してきたのは終戦後の事である。
空襲では、アメリカ兵の顔が見えるまでの至近距離から爆弾を落とされたとしても、軍隊そのものが軍靴をとどろかせて街中に入ってきたのではない。それを受け入れる側の気持ちを身に染みて感じることができないのかもしれない。「歴史認識」が足りないと言われるのも、それを味わったことのなかったゆえに、それを受け入れる側の惨めな気持ちを心から(体感的に)感じることができないのではないだろうか、と漢口の街の広場にあふれるように集合する兵隊たちの姿、その一画で奏でられる勝利の演奏曲などの場面を見ながら思ったのであった。

バッハの「ミサ曲」と台峯歩き [北窓だより]

真っ白な富士がくっきり見える週末、友人が属している合唱団が出演する演奏会を聴きに杉並公会堂まではるばる出かけました。
曲目は『ロ短調 ミサ曲』、バッハ最晩年の遺言ともいえるこの曲は、オーケストラから合唱、ソロの各パートを揃えての、壮大で緻密な複雑な構想を持った2時間近く27曲にも及ぶ長丁場の曲で、ミサ曲と言うものを堪能させられた思いがしました。
ミサ曲の内容には聖書全体が要約されているとのことで、神の憐れみを乞う声々から始まり、神の御子イエスの出現からその受難、イエス・キリストの十字架と復活、それによって全ての人々を救いに招かれるという御業を示し、それにより真の平和が与えられるということをこの全曲で表現しているとのことです。 
全くの素人の私は、耳を傾けつつも渡された「曲目解説・歌詞対訳」を眺めながら、一曲ずつ巧妙に、オーケストラやソロや合唱の組み合わせを変化させていくその進行に、ついていくのが精いっぱいという感じで、まさにこの曲は、教会の大伽藍のようだと思わせられました。
そしてつくづくキリスト教の奥深さ、緻密さ、大きさと言うものを思わせられました。音楽でもその進行の世界を、建築にも劣らぬほどの表現で実現しようとしたのではないだろうか、とも感じました。
そういう音楽がこの国にはあるだろうか。またそういう信仰(?)があるだろうか。少なくとも私にはないのでした。つくづく私はキリスト教の世界からは遠い気がしました。ミサ曲もただ、音楽として鑑賞しているだけですから。

そして次の日の日曜日、台峯歩きの日でした。少々疲れていましたが、あまりに良い天気なので(日本海側や北海道では記録的な大雪で雪崩など大変のようですが)参加してきました。今はほとんど花がないので、今回はシダ類を中心に観察しながら、参加者も少なかったですが、陽射しは温かくちらほら咲き始めた梅のような凛とした空気は気持ちが良く、楽しい歩きになりました。
シダ類の種類は1万種ほどあり、この辺では1000種ほどが生息しているとのことで、プリントされている種類は20数種ですが、それを見分けるのもなかなか難しいです。でもそれぞれをゆっくりと眺めると、その手触りや色合い、艶や形などは様々でそれを観察していくとこれまではわが庭ではいつも邪魔者として見境なくむしり取っていたそれも、もっとよく眺めようという気持ちになります。
鳥はモズ、カシラダカ、アオジ、そしてここに渡ってきたのは13年ぶりだと理事の人が感嘆していたベニマシコが見られました。
シダ類でさえその世界に踏み入れてみるとそれぞれが微妙で、複雑な姿と変化を遂げています。
同じところを歩き続けていても、その姿の長い歴史とその変化は予想できないものを秘めています。
まさに自然そのものが、一種の大伽藍、カテドラルのようなものだと思わずにはいられません。
この国の多くの人は無信仰、と言うより自然教だという人がいますが、自分も自然の中の一個として、自然に抱かれ自然を崇拝しているようにも思え、一神教であるキリスト教と比べてしまいます。

一体宗教とはなんだろう? とバッハ『ロ短調 ミサ曲』を聴いたり台峯を歩きをしながら考えたものです。


桜と土筆 [北窓だより]

このところの陽気で桜は一気に開花、都内では盛んに散っているようですが、ここから見える雑木林の桜色は、褪せてはいますがまだ健在です。先日の激しい風雨にもまれても開ききらない花はしっかりと枝にしがみついているのを見て、命と言うものの強さ、しぶとささえ感じさせらました。この辺りはソメイヨシノの親系で、開花も少し遅い、原種の大島桜(白っぽい)が多いので、いっそうそう感じるのかも知れません。
この暖かさと雨によって、草木はいっせいに萌えはじめ、六国見山頂から眺めた丘陵も、白や桜色から緑のグラデーションへと色合い華やかに染まりはじめ、鬱々とした気持ちもこの時ばかりは晴れる思いがします。
その道すがら土手に土筆を見つけました。スギナが一面に生えているのには気がついていましたが、今日あちこちにそれを見つけたのです。さっそくそれを摘んできて、といってもほんの10本ほどですが、食しました。茹でて水にさらし、卵に混ぜて卵焼きに・・・。全くのオママゴトですけれど・・・(笑)。

鶯鳴き始める。 [北窓だより]

予報通りに今日は、夕方ちかくから雨風強くなって春の嵐の感じです。
朝のうちはまだ穏やな曇り空で陽も射すこともあったので、雨にならない前にとこの辺り歩いてきたのですが、その時ウグイスの声をききました。どうしてか何時ものように声繕いをするような拙い声ではなく、もうきっぱりとした声で高く二声、鳴いたのにはちょっと驚き、本当にウグイスだったのか? と思ったほどでした。

前回ブログを書いたのは雪が降った日の事で、その後それ以上の記録的な大雪となり、国中が大騒ぎしたので、ピンポイントの私的状況など発信する気持ち余裕もなくなってそのままサボってしまいました。でもやはりウグイスの声をきくと、やはりちょっと報告したい気持ちになりったのでこれを書いています。いよいよ春になったなあ・・・と私自身感じたからです。
梅に鶯と言うものの花の蜜を吸いに来るのは大抵はメジロなど、でも梅はまだ春も浅いうちから咲きはじめ、長い間咲きつづけるので、どうしても春を告げるウグイスと対に考えられてしまうのでしょう。

三月は冬将軍と春の女神の争いの月、大体荒れ模様の日が多いことは昔から決まっていますが、それでも毎年その様相が異なるので、今こそが最たるものと思ってしまうのかもしれません。それでもやはり年々気象は荒っぽくなっていく感じです。
こういう荒れた日は、折角張り切って声を上げていたあのウグイス君は、どこにどうして凌いでいるだろうか、と思ってしまいます。



大雪、その後。 [北窓だより]

今朝、外に出て驚きました。軒場からツララのようなものが垂れ下がっているのです。
ほんの3、4本のことですが、屋根に張り出すように積もった雪が解けて、その滴がツララとなって凍ったのでした。それほど今朝は冷え込みました。外の寒暖計は2度でしたが、まだたっぷり残っている雪のために風がとても冷たく感じられます。横須賀や千葉では雪になっているところもあるようです。

大雪の翌日、入っていなかった新聞は午後になって、前日土曜日の夕刊と一緒に届きました。バイクの音を聞かなかったようなので、もしかしたら歩いて配っていたのではないでしょうか。ほんとうにご苦労様です。またこの日は最初の雪かきでバイクぐらいが通れる細い道をつくったのですが、その後若い人たちの手で夕方ごろまでかかり拡幅されました。これでゴミ収集車も上がってこられることになったわけで感謝。肝心のゴミ収集車ですが、やはりかなり遅れて、午後遅くに来たようです。雪のためあちこちで難渋したのだと思います。

今少しばかり陽がさしてきましたがおおむね曇り空で、気温が上がらず庭の雪も解けずに固まり続けています。当日にやっと雪の中から救い出したヒイラギ南天(南天ヒイラギ?)やマンリョウは、最初それまでの雪の重みで腰を曲げてましたが何とか元に近い形に返りましたが、雪のためキンシバイなど枝が折れてしまいました、道路沿いにあるハクチョウゲが固い雪に根元から折り曲げられているのを発見して救い出そうとスコップで取り除く努力をしましたが、どういう事になるやら…。
まだ深い雪の下に埋もれたままの植物たち…そのなかで大きく膨らんでいた梅の花が、雪の滴をはらいながら一輪、一輪と咲いていく姿は誠にけなげです。

大雪の朝。 [北窓だより]

この辺りでも、予想外のこれまでにない大雪になりました。
東京では45年ぶりの大雪で27センチ、熊谷では43センチ、千葉では記録し始めてから最高の33センチとか報じられていましたが…。
わが家は坂道の中腹、道路も行き会う処に建っているので、吹雪模様になった昨夜、どうも雪のたまり場になったようです。朝起きてみると、猫の額ほどの庭には雪が深々と積り、郵便受けのある入口に出ることさえ出来なくなっていました。しかも今にも咲きそうになっていた南天ヒイラギの木が雪の重みで頭を垂れて道を塞ぎ、あまりに重たく雪を落とすこともできず、仕方なく玄関からではなく居間のガラス戸の方から辿ろうとしたのですが、それでも長靴を履いてもすっぽりと入って腰まである深さがあるので慌てました。もちろんバイクは下の坂を上がってこれませんから新聞も届いていませんでした。この辺りは坂道なので雪が降ると各戸雪かきをしなければならないのですが、それにしても今度の雪はやはりこれまでになく深いものでした。
ちょうどその時前の道の雪かきをしていた近所の若いご夫婦が玄関から入口までの除雪をしてくれ、
大変助かりました。ほんの5、6メートルぐらいなのにやはり大変で、こんな雪かきを雪国の人は毎日のようにするわけで…と思いやりながら言い合いました。その細い通り道も両側は5~60センチほどの雪壁になり、何メートルにもなる雪国からすれば笑止ものですが、なんとなく雪国を思わせるのでした。道路の雪かきをした細い道もやはりちょっとした雪の壁になっています。
でも細い道では2輪は上がってこれますが、4輪はダメなので、明日のごみ収集車はやってこないかもしれません。以前にもそういう事がありましたから。

雪晴れの朝は雪の反射で眩しいくらいに光があふれて、軒端から雪解けの滴が盛んにしたたっています。この家の屋根からも積もった雪が大きく張り出し今にも落ちそうになっています。
昨夜、玄関先に並べてあったメダカを入れた2鉢に、雪がどんどん降りこんでシャーベット状になっているのに気がついて慌てて屋内に入れたものも、今朝はまだシャーベット片が水面にまだ浮いているものの、水草の下にメダカはお互いに集まって生き延びていたようなのでほっとしています。
風流にもガラス戸の手前は雪見障子になっているのですが、雪見をして愉しむというよりは、この陽射しで少しでも雪が解けてくれるのを望むような心境にさえなっています。
今日はほんの少しですが、雪国の暮らしの一日となったようです。

映画『ハンナ・アーレント』を観る。 [北窓だより]

岩波ホールで上映されているこの映画はなぜか評判のようで、混み合っているとのこと。でももう、少しは落ち着いているだろうと思い、出かけてみた。最近は神保町からはすっかり足が遠のいていたので、街をぶらついてみたくもなったのである。
上演50分前ぐらいに着いたのに、入場券売り場は列ができ、整理をする人が立っていた。開演時にはほぼ満席となった。
さて映画の題名となっているハンナ・アーレントは、ニューヨーク在住、ナチの大虐殺のとき強制収容所送りになったが、運よく脱出できてアメリカに渡り、今では大学の客員教授の職にあり著書には『全体緯主義の起源』などもある高名なユダヤ人哲学者の女性である。
映画は、ユダヤ人を強制収容所送りにした責任者 アドルフ・アイヒマンが逮捕された場面から始まる。彼がイスラエルで裁かれるとき、裁判の傍聴を要望し、それは「ザ・ニューヨーク」紙に傍聴記を書くことを希望することによって叶えられ、戦後初めてイスラエルに到着し、志を同じくした友人一家とも再会を果たすのであったが…。
裁判を傍聴したアーレントの筆はなかなか進まない。だがアイヒマンに死刑判決が下されたのをきっかけに、やっと執筆を再開し発表し始めたが、発売直後、その発言が「アイヒマン擁護」であるとされ世界中からパッシングされるのである。
イスラエル政府からは記事の出版を中止するよう警告され、その結果大学からも辞職を勧告される。彼女のもとには非難中傷の手紙が続々届く。ネット時代の今であれば、パソコンの炎上という事態であろう。しかし決してそうではない、擁護など微塵もしていない、という事を学生たちへの講義という形での反論を決意する。
大教室に集まった学生たちをはじめ大勢の聴衆を前に、堂々と言語で戦い、誤解を解く演説をすることを図り最後には拍手も起こる。私たちもそれを一緒に聴くことになり、その正論には頷かされることになる。
パッシングされる箇所とはどういう点かというと、アイヒマンが彼女の想像したような「凶悪な怪物」などではなく「平凡な人間」だったという驚きがあり、それ故に記事を書きあぐんでいたわけだが、それをそのままに感じたとおりに書いたことによる。彼が極悪非道な、邪悪な人間であったわけではなく、ごく平凡な、普通の凡庸な人間であり、それ故にこのような悪を生じさせたという表現である。
それをアーレントは「悪の陳腐さ、凡庸さ」と言う。
これはドキュメンタリーではなく演出されたものだが、裁判でアイヒマンが尋問を受ける場面は実際のフイルムを使っている。彼女は言う、「世界最大の悪は、平凡な人間が行うものです。信念も邪心も悪魔的な意図もない、人間的であることを拒絶したものなのです。」そしてこの現象を「悪の凡庸さ」と名付けると。これがアイヒマンを擁護したものと受け取られた。その上、彼女はユダヤ人指導者の中にもアイヒマンに協力していた人たちがいて、それがいっそう犠牲者を増加させたとも。もちろんこれは強制されたものであり抵抗出来なかったからであるが、それらの発言はユダヤ人を激怒させたのである。
そしてただ一人残っていた、同郷の古くからの友人も、冷たいまなざしを向けて教室から出ていくのである。

一緒に亡命してきた夫だけは最後まで彼女の理解者であったことにはほっとさせられるが、その後も生涯、「悪」について考え続けた哲学者であったようだ。

アイヒマンが、特に凶悪でも悪魔的な人間でもなかったという事については、戦後社会で生きてきたからかもしれないが、アーレントほどの驚きはない。むしろそうだろうという考えの方である。犯罪者が捕まってみれば多くがいかにも悪で乱暴者であるより普通の人間、むしろ真面目で大人しい、そうとは思えない人の方が多いからである。
しかしそのような普通の、平凡かつ凡庸な人間こそが最大の悪をなすというのは、本当に怖ろしい。
なぜそういう結果を生むのかという事が、ここでは非常に大切なことだと私には思えた。アイヒマンは繰り返し言う。自分の手では何もしなかったと、ただ上からの命令を伝えただけ、業務を真面目に遂行しただけだと。即ち彼には思考と判断力が全く欠如していた。自分の業務がもたらす結果を想像することすらできなかったのである。
考えることを放棄した葦、それは人間である止めた事を意味し、それこそが「悪の無思想性」で、「表面にはびこり渡るからこそ全世界を廃墟にしうる」とアーレントは考えたようである。

映画はこのようにすこぶる真面目で深刻な問題をはらんでいる内容で、アーレントと有名な哲学者ハイデガーとの学生時代の恋愛なども絡めてはいるが、そんなに楽しいものではないのに、どうして評判になって観客を集めているのか私には分からなかった。もしかして今と言う時代に不安を感じた人々が何かに引き寄せられる形でやってきているのかもしれない。

映画『東京家族』を観る [北窓だより]

 この映画が、近くで上映されたので観に行った。小津の代表作として世界的にも有名な『東京物語』は、1950年代、高度成長期に至る前の核家族化とその末の老齢社会化を予兆するような内容だが、それを今日に置き換えたときどう描かれるのだろうかという興味もあった。
 まさにこれは字幕にも書かれているとおり小津安二郎の『東京物語』へのオマージュであってそれ以上には出ないように思えた。老夫妻(この年齢設定も今日では老齢という年ではなくなっているだろう)の暮らす長閑な町も、尾道ではないとのことだが似たような近い土地、笠智衆の役が橋爪功で、始めは誰か分からないくらいで、笠智衆のような根は頑固だが茫洋とした雰囲気を出そうとしている懸命さは感じられるものの、やはり笠の独特の風格はなかなかまねできないに違いない。東山千栄子の妻の役は吉行和子だが、こちらは適役に思えた。3姉弟の設定も、長女が美容師、長男が医者という点は同じである。最後の戦死した次男、そして今は未亡人になったその嫁を演じる原節子が、後半部で老夫婦を支える重要な人物となるのだが、その部分だけは今の社会に照合させて、戦死ではなく父から全く認められていないフリーターの舞台芸術家、そしてその婚約者が3:11の大津波の被災地先で同じくボランティアをしていた女(彼女も被災者の一人)で、それを蒼井優に演じさせている。しかし登場する場面は短く原節子のように都会の片隅で咲いた百合の花のような存在にはなっていない。
 重要な場面はほとんど、細部にわたって「物語」を踏襲している。ただ長女や長男のいずれにも泊まることができずホテルに泊まらせられることになるのだが、それがうるさくて眠れないような宿ではなく、横浜の「みなとみらい」の大観覧車が見える豪華ホテルという点、あまりに広くて豪華で、勿体なくて一泊で出てきてしまうなどは、皮肉を込めたユーモアかと思わせられたりもした。
 けれども型があるという事は、どうしてもそこから出ることは難しく、大都会における今現在の家族の在り様、また故郷というべき地方の在り方などをそれ以上描くことはできないだろう。あくまでも小津監督に対する敬意と愛惜を表した映画なのだと思った。
 そして思うのだった。宮崎駿の最後といわれるアニメ映画「風立ちぬ」も時代に対する愛惜である。
いま次々に時代を画した有名、著名人が亡くなっていく。そして世の巨匠といわれる人たちもエネルギッシュに仕事を推し進めるというよりは、すでに事なり回顧の心境に今は至っているのでは…と思われるのである。そして時代もまた、一つの転機、爛熟期になっており、良くも悪くも大きく変わっていくのだろうという思いが深くする。私自身もその去っていく時代の一人であるが…。

ガビ(蛾眉)鳥、庭先に来る。 [北窓だより]

先のブログでも書いた蛾眉鳥ですが、今日のお昼頃、あの高く鋭くけたたましい声が間近に聞こえてきたので、慌てて窓を開けて見ると、この鳥が来ていました。
今伸びている黒竹の先のほうに、ちょうど止ったところで横顔がはっきり見えました。
歩く会でもらったコピーで想像したよりもずっと大きい感じで、ウグイスよりも一回りどころかヒヨドリくらいはある大きさ、羽根の黒っぽいウグイス色もぼさぼさした感じで、眼のあたりも隈取をした歌舞伎役者のよう、こちらの思い込みもあって何か猛々しい様子で憎らしい姿をしているのです。
これまでウグイスやホトトギスの声を圧するように林の中で啼いていたガビの声が、そこではこのところあまり聞かれなくなって、高校の校庭の木々の繁みなどから聞こえてくることが多くなっていて、昔は飼い鳥であったせいで町中が恋しくなったか、などと思っていたのですが…。
中国からやってきたこの外来種は、姿も大きく声も高く、何処にいても在来の鳥たちを圧倒しているようです。
ウグイスがこの庭先にやってきて、声を聞かせてくれたときは感動しましたが、この鳥の声を聞き、姿まで見たときは(初めてみました)、憎らしく思ってしまったのはやはり偏見かもしれません。
それでもウグイスやキビタキやシジュウカラのように小さくて可愛らしくて繊細な小鳥、声も澄んだ声であるのに対して、この大柄な鳥は姿もぼさぼさ、甲高い声もガラガラした声が混じっていて好きになれないのでした。ガビにしては気の毒な、身びいきです。

ホトトギス、鳴き始める。 [北窓だより]

早朝の散歩の際、ホトトギスの声を聞いた。私にとっては今年初めて、これを聞くと、ああ夏が来たなあと感じます。このところ夏日になることが多く、今日も夏の暑さでいよいよ夏の到来と思うのですが、湿度が高いので爽やかな感じはしません。

このところ鳴く鳥の声も増えてきて、もうすっかり歌も上手になったウグイスのほか、よく声を響かせるコジュケイも時には子ども連れの姿を現したりします。シジュウカラもチーペチーペと電線に止まって盛んに囀り続けます。春にはよく見かけていたメジロはかえって見られなくなりました。巣の中で抱卵の最中でしょうか。山中の高く鋭い声の持ち主はどうもガビチョウのようで、これは中国でよく飼われている鳥が渡ってきたらしい外来種で、大体において外来種は強く、生態系を脅かす原因になっているのであまり歓迎できないのです。

先月の台峯歩きの日は雨で、今月の第3日曜日も予報によれば雨になるかもしれないので、その代りに簡単に今の様子を書きました。わが家の植木鉢で、ほとんど枯れそうでいて毎年何とか少しだけ蔓を伸ばしていたものの花など咲かせなかったテッセンが、今年はぐんぐん伸びて蕾をつけ、昨日白い花を一輪咲かせました。今朝、その花の中に青いものが見えるので覗き込むと、生まれたばかりのような小さなバッタが止まっていました。命は、死なないで生き続けていればいつかはこんな風に
花を咲かせる時もあるのだろうか。今年はちょっといいことがあるのでは…と勝手に思ったりしてます。
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